カチカチカチ。

時計が酷く硬く、重たい響きをもって時を刻むのを、僕は布団にくるまってぼんやりと聞いていた。
どうしても眠れない。

いや、こんな日は眠れなくて当然なのかもしれない。
空気は妙にざわついて、凍えてしまいそうな冬の夜の中に静かな熱を宿し続けていた。

明日は、決戦。

こんな日にぐうすか眠れるほど、僕の神経は太くはなかった。
誰だって普通はそうだろうけれど。

耳を澄ませば、真っ白な雪が吸い込みきれなかったほんの僅かな音が聞こえてきそうだ。

それは例えば、何処かで景気付けにアルコールで満たされた杯を傾ける音だったり。
遠く離れた地に残された家族に書く手紙に、ペンを走らせる音だったり。
こうして布団の中で一人溜め息を吐く音だったり。

それぞれの人間にとって、この一夜は特別な時間であろう。
生と死を賭けた戦いの前の、限られた僅かな一時。

誰もが惜しまぬ筈はないのだ。

「眠れる訳ないよ……。」

布団からもぞもぞと這い出して、上着を軽く羽織った。

しかし、かといって何かをするアテも自分にはないのだ。
これは一体どうすればいいのだろう。

「うーん……。」

いっそ、誰かのところを尋ねられたらいいのだろうが、かと言って、もし寝ていたらと思うとそれも中々行動には移せないのであった。

「っていうか、誰かって言ってもなあ……。」

真っ先に思い浮かぶのは、憧れの人。
自分もいつかそうなりたいと、慕う人。

彼とこの大切な時間を共に過ごせたらどんなにかいいだろうか。

しかし、自分にとってそうであるように、彼にとってもこの時間はとても重要であるに違いないのだ。
そこに自分のような人間が割り込んで不快な顔をされないとも限らない。
と、いうかされそうで怖い。

行くべきか、留まるべきか。
自分のこういった煮え切らない部分が、今まで何度重要な契機においてそれをふいにしてきた事だろう。

「偶には、ね……。」

考えたくはない事だが、今日のこの時間が最後の自由な時間になるかもしれないのだ。
それならば、多少の我が侭を通してみたとて非難される事もないだろう。

そう決意を固めて、扉へ向かった瞬間。

コンコン。

「うわっ、は、はいっ!」

扉が叩かれる音に思わず飛び上がった。

「どどど、どちらさまでしょう!?」
「私だ。」

そんな、まさか。

「えええっと、あの、中将……ですか?」
「そうだ、ディムロス=ティンバーだ。」

彼の方から尋ねてくるだなんて事は考えてもみなかった。
一体、何故?

「どうか、なさったんですか……?」

扉を開けながら、そんな事を考える。
しかし、こんな時間に彼が私的な用件で尋ねてくるとは考え難い。
決戦前の重要な時であるからには、尚更の事である。

と、なれば公務だ。
仕事に決まっている。

けれども、幾らソーディアン・チームの一員とはいえ、こんな下っ端をわざわざ中将ともあろう方が呼びに来るだろうか。
いや、まあ、雑務まで自分でこなさなければ気が済まないこの人なら、それくらいの事はしかねないけれど。

「…………少し、時間はあるか?」
「……はい。」

公務では、なかった。
もしそうなら軍属の身である自分に初めから拒否権などない。
時間の融通をつけようとするという事は、つまりはこの決戦前の一時を消費する事への許可であり、つまり……。

「少し、話がしたくてな。そうだな……私の私室でいいだろう。」

それだけの事で胸がどきどきと高鳴るのがわかった。





「適当に座れ。」
「はっ、はいぃっ!」

ガチガチに緊張しながらスツールにかける僕を、彼はおかしそうな顔で見ていた。
こんな事でいっぱいいっぱいになってしまう、自分のキャパシティが酷く情けなかった。

「やはり、な……。」

彼はそう呟いて、二つのグラスとアルコールの瓶を棚から取り出した。
小刀で器用にコルク栓を抜きながら彼は笑って言った。

「こんな時だ、部屋で一人緊張しているのではないかと思ってな。」

勿論、そういった緊張をしていなかった訳ではないが、今の緊張とは随分種類が違う。
今のそれは類別するならもっと違う系統の緊張なのだけれど、しかし、彼の目にはそう映ったらしい。

「中将……各自明日に備えて寝るように、って言ってませんでしたっけ……。」

そう言うと、彼は苦笑いをしながら瓶を傾けて、蜜のような色の液体をグラスの中の氷に向けて注いだ。
芳醇な香りに、それだけで上等なものだと分かった。

「そうできるのならそれに越した事はないが、そうでなければ誰かと過ごす方が余程、有意義な時間の使い方だとは思わんか?」
「それは……そう、ですね……。」

こちらへ寄越されたグラスを受け取って、カラカラと中の氷を回しながら呟く。
僕のように迷う事もなく、真っ直ぐにそう考えてそれを実行できる彼が酷く羨ましかった。

「私だって、こんな日には眠れんさ。」

呆れたようにほんの少しの自嘲も交えながら、それでもどこか楽しそうに彼は笑った。

「中将でも、ですか?」
「当たり前だろう。」

何を馬鹿な事を、とでも言うような顔で彼が笑う。
仕事をしていない時、もしくは部下を気遣う時の彼のこういう控えめな笑顔が僕は好きだった。

「でも、だって……中将は今だってこうして部下を気にかけてて、僕からしたら凄く余裕があるように見えます……。」

言うと、彼はぷっと吹き出して笑った。
彼がそんな顔をする事は酷く珍しかったので、僕はとても驚いた。

「そういう事はカーレルにでも言ってやれ。あれの落ち着きようは私とは比べ物にならんぞ。」
「そうなんですか……?」
「ああ、私とて一人で篭っていられなくてお前を誘いに行ったというのに……恐らくあれは今頃自室の布団の中にでもいるだろう。」

それは凄い精神力だと思いつつ、彼とて普段こそ人間離れしているもののやはり本質は同じであった事にほっと安堵する。
この人たちと一緒に居ると、自分だけが駄目なのかと思い悩んでしまうから。

「まあ、ハロルドも大概だったがな。」
「博士がですか?」

そう言えば、博士がこんな日に彼の傍につきまとわないのも珍しい事だ。
続きを促すような視線を送るとディムロス中将は困ったような顔で笑って、小さく呟いた。

「『主力の実戦部隊がそんな事でどうするんだ、さっさと寝ちまえ』だそうだ。」

なるほど、博士なら言いかねない。
納得して一人で頷いていると、彼は更に言葉を続けた。

「恐らくは、今も私たちが戦いやすいように何度もデータを見直しているんだろう。ソーディアンを開発した事に対する責を負っているんだ。」
「分かります……。」

きっと博士ならそうするだろう事が容易に頭に浮かんだ。
何だかんだで、案外マジメな人だから。

「だって、ハロルド博士ですからね。」
「そうだな。」

グラスの中でゆっくりと融解していく氷を見つめながら、小さくクスリと笑みを零す。
そうしてから、僕の心も少しづつときほぐれている事に気がついた。

「あ、の……中将……。」
「どうした?」

ポツリと呟く。
彼はその小さな言葉を丁寧に拾い上げて尋ねてくれた。

「ありがとう、ございました……僕、部屋の中で、怖くて仕方がなかったから……。」

俯きながら、彼の顔を見遣ると笑っているのが分かった。
僕の好きなあの笑顔だった。





「地上に栄光在れ。」

そう言って彼がグラスを掲げる。
その動作に伴って彼の蒼髪がさらりと一房、肩から零れ落ちた。

乾杯の音頭だろう。

「地上に栄光在れ。」

彼の台詞を繰り返して、僕もグラスを掲げた。
賑やかしさとは無縁だけれど、これは静粛で、どこか厳格にすら見える儀式だった。

なるほど、決戦の前夜にはもっとも相応しい時間に違いない。



さあ 栄光の青を 取り戻しに 行こうか!










シャルディム……?^▽^

やっぱりシャルティエだと、誰に対しても未満で終わってしまう……
不思議……でもないか^^^^^