例えば、海底が少しづつ拡大していくものだとしたら。
それはきっとこんな風なのに違いない。
「総司令。」
後姿に声をかける。
「ああ、イクティノス。」
司令は振り返るとにこやかに笑われた。
私はそれに軽く会釈して、隣に並ぶ。
「今日はいい天気だね。」
「ええ、吹雪いていませんものね。」
今日は雪雲の機嫌がよいのか、はたまた悪いのか、ちらちらと小さな灰雪が降る程度だった。
これで良い天気だと感じてしまうのだから、私たちの感覚も相当狂ってきているようだ。
「ああ、そうそう。ハロルドがまた何かやらかしたらしいね。」
「……総司令の所まで噂が及んでいましたか。あの子は全く困ったものですね。」
「で、何をしでかしたのかね。」
楽しげに尋ねる司令。
まるで、おもちゃに興味を持つ子供のようだ。
やれやれ、この人も大概困ったものだ。
「薬品の量を量り間違えて、妙な気体を発生させてしまったようですよ。」
「おや、あの子にしては珍しい。」
「何でも質量パーセント濃度とモル濃度を間違えていたと。」
全く、あの子は頭が良い癖に時々こんなつまらないミスをするから不思議だ。
「今は中和剤を飲んで寝込んでいますよ。」
「それこそ、それが薬になればいいけれどね。」
くすくすと笑いながら司令が呟く。
「無理でしょうね。」
「だろうね。」
あの子がこんな事で危険な実験を控える筈がない。
ああ、全く困ったものだ。
「そういえば、暫く顔を合わせていないが、カーレルは最近どうしているかな。」
「相も変わらず、ハロルドにべったりですよ。」
溜め息を零しながら答えると司令は困ったような顔で微笑んだ。
「まあ、仕方がないさ。」
「それにしたって、もう少しくらい他の事に興味を持ってくれてもいいものを……。」
「あの子もおいおい変わっていくだろう。」
随分と楽観的なものの見方だとは思うが、この人の教育方針に口を挟むつもりはない。
自分があの子達の保護者であるのは確かだが、この人にとっての自分は協力者なのだから。
「で?」
「で、とは……?」
唐突に降って湧いた「で」に首を傾げる。
すると司令はにこりと柔らかな笑顔を浮かべてこう言った。
「で、君は最近どうしていたんだい?」
「は……私、ですか?」
「そうだよ、さっきからそう言っているだろう。」
まさか自分の話題が出てくるとは思わなかった。
「最近では君とも碌に顔を合わせていなかったからね。寂しくしていたのではないかな、と思ったんだよ。」
「ご冗談でしょう……。」
何を言い出すかと思えば……。
溜め息を零すと、今度は司令が首を傾げた。
「おや、違うのかな。てっきりそれで態々声をかけてくれたものと思っていたのだが……。」
「…………。」
「なるほど、私の自意識過剰だったらしい。すまないね。」
苦笑して司令が納得する。
「…………いえ。」
小さく否定をして、顔を俯ける。
……確かに、言われてみればそうだ。
普段の私なら、用件がなければ態々話しかけたりはしない。
ただ単に行く道が一緒になっただけの事と、声をかけずに進んでいくだろう。
どうした事だろう。
私は、寂しかったのだろうか。
「ああ、私はここでお別れだ。」
司令が一角で、はたと立ち止まる。
どうやら司令はこちらに用事があるらしい。
「それではね、イクティノス。」
「はい、失礼致します。」
敬礼をして、去って行く背中を見つめる。
「…………絆されて、しまいましたかね。」
私とした事が。
その姿が見えなくなった所で、小さくポツリと呟いた。
じわじわと、こちらからは見えない所で侵食し、広がり続ける青。
その瞳。
ああ、海底が少しづつ拡大していくものだとしたら。
それはきっとこんな風なのに違いない。
リトイク的な何か^▽^
この二人は腐れ縁的に仲良くしてたらいいなあ……