「ディムロスー。」
ハロルドがにこやかな笑顔を湛えてこちらを見据えている。
思わず逃げ出したいと思ったが、この部屋の唯一の出入り口はハロルドに押さえられている。
それもその筈、ハロルドはたった今ノックもなしにディムロスの部屋へと上がりこんだばかりだからだ。
こういう時は決まって碌な事にならないことをディムロスは身をもって知っていた。
「一体何の用だ。」
端的にそう言うとハロルドはニヤリと唇の端を上げて笑った。
ポケットから取り出した試験管だけで、もう何も言わなくても分かってしまった。
「断る。」
そう言ってシャットアウトするとハロルドはつまらなそうに眉間を顰めた。
「そう身構えるなよ。まだ何も言ってないじゃん。」
「言わなくとも分かる。」
また妙な薬の実験台にでもするつもりなのだろう。
「分かってるんなら話が早いな、さあ飲んでくれ。」
しかしハロルドは自分勝手な都合を押し付けると、試験管のコルクを抜いた。
「断ると言っているだろう!」
鼻を突く香りに顔を背けて、明確に拒絶の意思を表す。
「えー。何でだよ、折角の新作なのにー。」
ぶうぶうと文句を垂れるハロルドを見て溜め息が零れた。
「お前の新作で一体何度酷い目に合ったと思っているんだ……。」
ハロルドはそれを聞いて不思議そうに首を傾げている。
「酷い目? オレ、ディムロスを酷い目に合わせた事なんてあったっけ……?」
本当にそう思っているらしい所が頭痛の原因だろう。
「ついこの間の新作でも酷い目に合った。」
恨みがましい口ぶりでそう言うとハロルドはポンと手を打って答えた。
「あーあー、あの体力増強剤。何だよ、ちゃんと効いただろ?」
何の問題もなかったと言わんばかりに笑うハロルド。
「お蔭様で模擬戦闘中は素晴らしい効力を発揮したがな。効力が続きすぎて私は丸四日眠れずかえって体力を消耗した。」
つい一ヶ月前にそれで倒れてアトワイトの所に運ばれたのだ。
「……そんな事もあったっけ。」
本当に綺麗さっぱり忘れていたのだろう。
ハロルドは思い出した事実に顔を顰めた。
「ま、今回のはちゃんと事前にラットで生体検査してるし大丈夫だって。」
その発言にディムロスが目を見開いた。
「な……っ、まさかお前、あの薬……生体検査せずに飲ませたのか!?」
「あ、ヤベ。」
驚くディムロスにハロルドがぺろりと舌を出す。
「ハロルド、お前という奴は……!」
「まあまあまあまあ、済んだことだしいーじゃん! それに今回はちゃんと生体検査してるし!」
怒り心頭といった様子のディムロスにハロルドはさっと試験管を差し出した。
匂いのためにディムロスが顔を背ける。
「……本当に大丈夫なのかその薬。」
疑わしげな視線を受けて、液体を光に翳す。
「絶対大丈夫。まあ、ディムロスがどーしても俺を信用できない。絶対飲みたくなーい、ってんなら第一師団の連中でも何人か捕まえて……。」
問題発言を聞いてディムロスはますます頭を痛めた。
かわいい部下をハロルドの毒牙にかけるのは気が引ける。
かといってディムロスが仕事を休む羽目になれば困るのも部下なのだが。
「…………わかった。」
長らく逡巡した末にディムロスはそう呟いた。
「さっすがディムロス! 話が分かるな!」
自分が断れば、恐らく本当に第一師団の部下か或いはシャルティエ少佐辺りに害が及ぶに違いない。
それは流石に可哀想だ。
ハロルドから受け取った試験管の中身を一気に呷る。
そうしなければとても飲めたものではない匂いだった。
悪臭とまでは言わないが、妙に鼻を突くのだ。
ハロルドが笑顔で試験管を受け取る。
「で、どうだ?」
口の中には薬品独特の甘みが残っていた。
「どうと、言われても……。」
流石に飲んだ瞬間に効く訳が無い。
「そりゃそうだよな。」
薬を飲んだ時間を自らの腕時計で記録してハロルドが言う。
「暫く待つか。」
その言い振りからすると効果はそんなに早く現れるのだろうか。
ディムロスは悪い結果にならないよう祈りながらそれを待った。
「……で?」
十分の後、ハロルドが呟いた。
今の所これといった変化は見られなかった。
「なんとも無いな。」
ハロルドから不満の声が上がる。
「くそっ、もう十分見てみるか……。」
「生憎だが、今から会議だぞ。」
そう言うとハロルドは悔しそうに溜め息を吐いた。
「分かってるけどよー。」
ディムロスはというと、何だか拍子抜けした気分だった。
全く何も起こらないということなど考えてもいなかった。
ハロルドは無茶が過ぎるが確かに天才科学者で、今までに素晴らしい効力を持った薬を幾つも開発してきてる。
幾ら天才と言われるハロルドでもこんなこともあるものなのだとディムロスは思った。
「くっそー、ラットでは確り発情を確認出来たのになー。」
「おい。」
その言葉に待ったがかかる。
「何だよ、ディムロス。会議なんだろ?」
怪訝そうなハロルドに詰め寄って問い質す。
「お前は……っ、お前という奴は一体何を飲ませたんだっ……!」
それはちゃんとした言葉にはならなかったが。
「何って、媚薬だよ。ホントにラットではちゃんと確認できたんだぞ!?」
「私が言っているのはそこではない!!!」
生体検査の明確性を示そうとするハロルドにディムロスは盛大に突っ込んだ。
「仮にその媚薬の効力が確かにラットで確認されたとしよう。」
「仮じゃねーよ、ちゃんと確認できたってば!」
反論するハロルドを無視してディムロスは続ける。
「で、それが私に効いたところで一体お前はどう始末をつけるつもりだったんだ?」
言われて漸く思い至ったらしくハロルドはポンと手を打った。
「そこまでは考えてなかった。」
きっぱりと告げられた言葉にディムロスは大いに脱力した。
「本当に、お前という奴は……。」
ディムロスの肩を叩いてハロルドが笑う。
「いやー、薬が効かなくてよかったなー。」
無言で頭を抱えるディムロスに更に笑顔で畳み掛けてハロルドは言った。
「ほら、会議なんだろ。遅れるぜ。」
目を細めてハロルドを睨みつけると、ディムロスは渋々と会議室へと向かうのだった。
ホントは続き書こうと思ってたけど、これ以上書いたらR指定になるのでターンエンド\(^o^)/