母は、戦争で亡くした。
父は従軍医だった為、小さい頃から軍施設内で育った。
普段は父と共に過ごしていたが、父が戦場へ赴くときは軍の孤児院で預かられていた。
しかし、どうしても孤児院の子供達とは仲良くなれなかった。

孤児院の子供達は、何処へも引き取られなかった場合、一定の年齢に達した瞬間に従軍することになっている
しかし、彼らはあまりにも貧弱だった。
ただただ甘えるだけの子供だった。
幾ら軍の施設とはいえ子供とはそういうものなのだが、アトワイトにはそれがどうしても我慢がならなかった。
結果、孤児院の子供達との間に溝は深まり、どうしても相容れない一線がアトワイトの中でのみ生まれた。
それを表に出すことはなかったが、常にアトワイトの中ではそれが燻っていた。

自分も、将来は父の様に軍医として働きたいと思っていた。
だから体を鍛えた。
「女なのに」とか「女の癖に」と言われるのが我慢ならなかったから。
もともとの勝気な性格の上に常日頃から鍛錬を重ねている所為か同年代の男に負けたことは無かったし、負けることなど許されないと思っていた。
例え戦場で敵と合い見えても、切り結ぶ覚悟くらいなければ軍医は務まらないとアトワイトは思っていた。





ある日、父がまた戦場へ出ることになった。
アトワイトはまた孤児院で暮らさねばならないということに、石を飲み込んだ様な気持ちになった。
父が何時帰ってくるかなど検討もつかない。
もしかしたら戦死して、これからずっと孤児院で暮らさなければならないかもしれない。
そんな恐怖が絶えずアトワイトにはつきまとっていた。
鬱屈した日々の終わりに見通しが見えないことがまたアトワイトを苛立たせた。

それから一月もした頃、孤児院の院長がアトワイトの父の帰還を告げた。
アトワイトはホッと胸を撫で下ろし、父の部屋へと向かった。

「おかえりなさい、お父さん。今回は早かったんですね。」

部屋に入るなりそう言う。
しかし、何時もなら振り返るはずの父が今日は振り返らなかった。

「ああ、ただいまアトワイト。ちょっと待っておくれ。」

よくよく見てみると父の背中越しに小さな子供の姿が見えた。
柔らかそうな銀の髪に、薄い藍を湛えた瞳。
レースやリボンなどの装飾品で整えられた衣服からは貴族の出で立ちを思わせるが、それらは全て薄汚れていた。

「戦争孤児ですか?」

アトワイトが尋ねる。

「そうらしい。」

傷の手当を終えたらしい父親が振り返って答える。
こういう時、アトワイトは進んで父の手伝いをすることにしていた。

「君、幾つ? 名前は言えるかな?」

年が近い自分のほうが相手に警戒心を抱かれにくいということを理解していたからだ。
アトワイトは同年代の誰よりも聡い子供だった。
父もそれを知っているからこそ、アトワイトに後を任せると言って報告に出て行ってしまった。
父がこの子供を預けていったという事は、外傷は殆ど無く安全な状態であり。
戦争孤児の場合、心因的な問題を抱えている場合があること。
アトワイトに求められているのは相手から情報を引き出すことだけなのだから、それさえ理解していれば子供の面倒を見るのには十分だった。

「…………お兄さん、誰?」

父が去っていくのを見送った後、子供はたっぷり十秒はアトワイトを眺めてからぽつりと小さな声で呟いた。

「アトワイトだ。」

短く切った髪の所為か、男勝りな所作の所為か。
アトワイトはお姉さんと言われなったことに薄く笑って名前を告げた。

「……シャルティエ。」

子供は小さく俯いて答えた。

「シャルティエか。シャルと呼んでいいか?」

アトワイトが尋ねると子供はうろたえた後に肯定の意を込めて頷いた。
随分と緩慢な動作だが、アトワイトはその事に対して苛立ちなどは覚えていないようだった。
中には喋ることも、動くことさえもできなくなる子供だっているのだ。
そう考えるとシャルティエのトラウマは、寧ろ比較的軽いように見えた。

「で、シャルは幾つなんだ?」

シャルティエはそっと小さな掌を広げて、こちらへ示した。

「5歳か。」

シャルティエが頷くのを見てアトワイトは満足そうに頷き返した。
会話ができるということは、そう悲惨な現場は見ていなかったのだろうか。
それとも幼かったが故か。
何にせよ小さく安堵の溜め息を吐いた。

「あ。」

シャルティエが小さく声をあげる。

「どうした?」

尋ねると、掠れて消えてしまいそうな声でシャルティエは言った。

「お兄さん……。」

そんなシャルティエに微笑んで見せると、アトワイトはその銀の頭をそっと撫ぜて囁いた。

「お兄さん、ではなくアトワイトと呼ぶといい。」

シャルティエはごめんなさいと、これまた小さく呟いた。

「別に謝ることじゃないよ。」

アトワイトがそう言うと、少し安心したのかシャルティエは僅かに微笑んだ。
はにかむ様なその笑顔を見て、アトワイトは考えた。

「シャルティエ、嫁に来ないか?」

自分の性別など全く眼中になかった。
寧ろそれは態と視線を逸らしていると言ってもいい程だった。
アトワイトには元々女性であることに対してコンプレックスがあり、男性になりたいという願望が根強くあったのだ。
それは守りたいという意思の形であり、己が擁護する存在を求めるものであった。
幼くまだあどけない愛らしさを残すシャルティエは正にうってつけの存在だと、アトワイトには思えたのだ。

「アトワイト……?」

シャルティエは目を瞬いた。
突然そんなことを言われれば無理も無いだろうと、シャルティエの髪を柔らかに梳きながらアトワイトは囁いた。

「シャルティエが大きくなってからでいい。どうだ?」

シャルティエはますます不思議そうに首を傾げて、それから遠慮がちに呟いた。

「……僕、男だからお嫁さんにはなれないよ。」

今度はアトワイトが目を瞬かせる番だった。

「…………男?」

どう見てもそうは見えなかった。
いや、レースやリボンの所為で先入観を持っていた為だろうか。
しかしながら、それら全てを差し引いてもシャルティエは女にしか見えなかった。
アトワイトは途端にシャルティエを少し疎ましく感じた。
それは守りたいという思いがサッと冷めてしまったせいかもしれない。
自分が望んでいる男性としての体躯と位置づけを持っているのに、シャルティエは完全に自分が擁護される側だと認識しているように思えたからだ。

「それにしては、随分と女っぽいんだな。」

思わず皮肉が口から零れ出た。
言葉に出してから、それに気づき慌てて口を押さえた。
シャルティエは泣いてしまうかもしれない。
アトワイトは恐る恐るその顔色を伺った。
しかしシャルティエは涙の一粒も見せなかった。

「姉さん達もよくそう言ってた。」

それに安堵するより先に、アトワイトはその言葉に興味を示した。

「姉さん?」

ひょっとしたらシャルティエ同様に生きているかもしれないと思ったからだ。
まだ戦地にいるならば保護しなければならないし、何処かで既に保護されているならシャルティエと引き合わせてやるべきだ。

「シャルティエ、姉さんは何人だ? 他に兄弟はいるか? 何処にいるかとか知っているか?」

アトワイトはゆっくりとシャルティエに話しかけた。
シャルティエは黙っていた。

「……何も、知らないか?」

アトワイトが尋ねなおすとシャルティエは今までにないくらいハッキリとした言葉で言った。

「死んだ。」

明確な意思でもってシャルティエは告げた。

「姉さん達は僕を戸棚の奥に隠して、死んだ。」

アトワイトはぞっとした。
泣くでもなく、喚くでもなく、シャルティエが静かににそう言い切ったから。

「…………逃げ延びたとは、思わないのか。」

そうであって欲しいと祈りながらアトワイトは尋ねた。

「だって、僕は姉さんの体を押して戸棚から出たんだよ。」

つまり、庇うように扉に凭れたままの死体を押し退けて……。
恐ろしく冷静なシャルティエに、寧ろこちらが叫びたいとアトワイトは思った。

「姉さん、いつも意地悪で僕のことを平気で戸棚とか使ってない部屋とかに閉じ込めるんだ。」

シャルティエは淡々と語る。

「いつもみたいに意地悪な顔して、姉さん僕のこと戸棚に閉じ込めたんだ。」

少し俯いてシャルティエは呟いた。

「僕のこと守るために閉じ込めたんだ。」

こんなのは五歳児じゃないとアトワイトは思った。
少なくとも、自分が知っている五歳児はこんなに冷め切っていない。
今やアトワイトの顔色は真っ青だ。

「外で姉さん達の悲鳴が聞こえても、僕は戸棚の中で震えてた。」

シャルティエはアトワイトの顔色に気づいていないのか尚も続けた。

「凄く怖くて、どうしても出て行けなかった。」

アトワイトは知らない。

「僕は卑怯者だ。」

こんなに静かに泣く五歳児は知らない。
大切なものを守れなかった悔しさに、自分の卑小さに、ぽたぽたと垂れる涙を拭いもせずに泣く五歳児など。

「……私が、姉になる。」

アトワイトは力の限りシャルティエを抱きしめた。
シャルティエを慰める為ではなく、そうしなければ自分が声を上げて泣いてしまいそうだったからだ。
シャルティエはそんなアトワイトを見上げて呟いた。

「姉さんは、要らないよ。」

姉はもう、ちゃんといるから。
そう言外に告げて。

「だから、兄さんになってくれる?」

言葉もなくただ頷くと、シャルティエの小さな手がそっと背に回されるのが分かった。

その後父がシャルティエを再び診断し、大丈夫だと判断したのでシャルティエは孤児院へ送られることになった。
シャルティエは姉のことについて、父には何も話さなかった。
一方アトワイトは、父の不在時に孤児院で過ごすことが苦ではなくなったようだった。
恐らくは守るべきものが出来たからだろうと、そう自覚している。
今では擁護すべき存在としてではなく、ただ大切な存在としてシャルティエを守りたいと思っているから。
貴族としての生活から一転孤児院へ送られたシャルティエは始めのうちは環境になれなかったようだが、アトワイトの手助けを受けて現在では何とか孤児院の子供達と共に生活している。

「アトワイト。」

シャルティエが服の裾を引いて呼びかける。

「どうした、シャル?」

アトワイトが視線を合わせるとシャルティエは笑って言った。

「僕、大きくなったら軍へ入るよ。僕の居場所はもう他にはないからね。」

結局、アトワイトの考えは全く的を射てはいなかったのである。
この子供は自分が守られるべき存在だなどとは到底考えていないのだから
アトワイトは苦笑して頷いた。





「…………あれから、もう16年ね。」

アトワイトが溜め息と共に呟く。

「そうですね、エックス大佐。」

シャルティエは味気なく答えた。

「卑屈に育ったものだわ。」
「おかげさまで。」

シャルティエは呆れかえるアトワイトに平然とそう返して、ディムロスとアトワイト、それぞれのデスクの上に淹れ立ての茶を置いた。
礼を告げてディムロスが茶に口をつける。

「しかし、大佐は僕のことを女の子だと思ってたのによくプロポーズしましたよね。」

ディムロスが勢い良く茶を噴き出した。

「やあね、ディムロス。汚い。」

アトワイトが眉間を顰める。

「げほっ、な、何……っ!」

ディムロスはそれどころではないようだ。

「一体っ、それは……!」

布巾を持ってきたシャルティエが苦笑をもらす。

「子供の頃の話ですよ。」

茶をすすりながらアトワイトが便乗する。

「幼馴染なのよ。」

何ともいえない顔で布巾を受け取ると、ディムロスは零した茶を拭き始めた。

「それで……その……。」

言い難そうにディムロスが呟く。

「い、今は違うのだな?」

顔を真っ赤にしてそう言うディムロスを見てアトワイトとシャルティエは目を見合わせて笑った。
そんな訳が無い。と。










シャルティエをうっとうしがった件についてですが。
あれはアトワイトの性格が悪いんじゃなくて、ただちょっと厨二病に感染してたころなんだと思います^▽^