「中将。」
声をかけられて振り返るディムロス。
「なんだ、マイナード……。」
少将、と続けようとした言葉はイクティノスの口付けによって遮られた。
「……何をする。」
イクティノスの体を肩ごと押し返す。
華奢な体はいとも簡単に離れた。
「いえ、ちょっとした冗談です。」
閣下がどんな反応をするか見てみたたかったもので。
その言葉にディムロスが呆れたように溜め息を零した。
「職務中にその様な態度は慎んで貰おうか。」
にこり笑ってイクティノスが素直に頷く。
「はい、申し訳ございませんでした。」
それを聞いてディムロスは小さく頷いた。
「以後、その様なことがないように気をつけるように。」
その姿を敬礼で見送って、イクティノスは小さな声で一人ごちる。
「中将は厳格ですから職務を手放せない……大変ですね。」
内心に渦巻く疑問と動揺を押さえつけたまま今日一日働くのだろう。
「勤務時間が終わったら、連絡が来るでしょうか。」
イクティノスは悠然と微笑むと静かに踵を返した。
色素の薄いイクティノスの茶色がさらさらと風に靡いていた。
勤務時間が漸く終わりを告げた。
室内の無線に連絡が入るのを期待して、イクティノスはそれを眺めた。
しかし、何分経ってもそれが鳴る様子は無かった。
「……さて、インパクトが足らなかったのだろうか。」
そんな中、執務室の扉がコンコンと硬質な音を立てた。
「氏名、階級、用件をどうぞ。」
今度は間違えない。
「ディムロス=ティンバー、OF8だ。」
やはり彼か。
用件を告げないあたり昼間の件で間違いないだろう。
「用件をどうぞ。」
敢えて意地悪く尋ね返す。
「…………私用だ。廊下での発言が憚られるので、直接貴官に伝えたい。」
ディムロスは少し詰まってから、気まずそうに、そう言った。
「分かりました、どうぞお入りください。」
扉が大きな音を立てて開いた。
「閣下、一体どうなさったのですか?」
態と仰々しい物言いをすると、ディムロスは不貞腐れたような顔をした。
「どうしたもこうしたもないだろう! 何だ、昼間のあれは!!」
その発言に首を傾げて見せる。
「昼間の…………ああ、コレですか。」
苛立った様子のディムロスに口付けると顔を真っ赤にして後ずさった。
こんなにも反応が違うというのは面白い。
彼の公私混同はしないという考えもここまでくるといっそ強迫観念に近いのではないだろうか。
そして、こんな事を考えているのがバレたらきっと怒声が飛ぶに違いないとイクティノスは思った。
「一体何のつもりだ!」
口元を拭う反応が初々しい。
「いやですね、中将。まるで生娘のような反応をして。」
クスリと笑みを零しながら言うと、ディムロスは腹立たしそうに顔を背けた。
「しかし、不思議ですね。こういう事態を避ける為に、てっきり内線で連絡をしてくるものとばかり思っていましたが。」
こういう事態、と言いながらそっと己の唇を人差し指でなぞる。
ディムロスはそれに眉間を顰めながらきっぱりと言い放った。
「それは軍の備品だ。私用で使うことは許されない。」
生真面目にも程がある。
そんな台詞に辟易しながらイクティノスは今更ながらディムロスにソファを勧めた。
「で、何のつもりかと聞いている。」
ソファに腰掛けながらディムロスは改めて先ほどの質問を投げかけた。
流石にこの程度では煙に巻かれてくれないだろう。
「閣下、それは命令ですか?」
笑顔で更に問いを重ねるとディムロスは押し黙った。
「…………私用だ。命令をするつもりはない。」
暫くの後に吐き出された返答はイクティノスの予想通りのものだった。
「そうですか。それでは個人的なお願い、ということですね。ディムロス?」
個人的な、を強調する為にファーストネームで呼ぶとディムロスは溜め息を零した。
「その通りだ。」
そう言われてしまっては答えを無理に強請る事も出来ないのだろう。
ディムロスが不承不承肯定の意を示した。
「では、残念ですが貴方に答えは差し上げられません。」
それを聞いたディムロスの眉がピクリと動いた。
「教えるつもりは最初から無い、という事か?」
その問い掛けにイクティノスは苦笑する。
「さあ、どうでしょう?」
イクティノス自身それが分からなかったのだが、ディムロスはそれをはぐらかされたと取ったようだった。
「もういい、イクティノス。貴方には尋ねない。」
そう言って立ち上がると徐に扉を目指した。
「せっかちな人ですね。」
真摯な答えを求めるディムロスが怒るのも無理は無い。
小さく溜め息を零してイクティノスが呟く。
「失礼する。」
そのまま勢い良く扉をしめてディムロスは去って行った。
「本当に、分からないんですがね。」
一回りも年下の子供に振り回されている自分に、驚くかのように言葉を紡ぐ。
胸元のペンダントの中には、遠い昔に将来を約束した女性の姿が映っている。
写真は古びて掠れてきているが、記憶の中では今でも鮮明に彼女の姿が描かれている。
ならばきっとこれは恋などという甘ったれたものではないのだろう。
しかし、ただ単純な興味のみで自分がこの様な行動を起こしたとは、イクティノスはとても思えなかった。
第一、ディムロスと話をするのは心底気分が悪かった。
その所為で彼と話すといつも決まって頭が痛くなる。
「何故でしょうね、中将?」
イクティノスはそう呟いて、ディムロスが去った扉を見つめて静かに微笑んだ。
イクティノスにはもう少し年相応に行動していただきたい^▽^
そういえばこの人30代だったんだなという事を思い出したので設定のページを27歳→35歳に変更しました
急に老け込んでしまったイクティノス、ごめんね
ディムロスがどんどん堅物になっているのは今までイメージが確り固まっていなかった為です
まあ、未だに固まってはいませんが
それぞれが別の話だと思って読んでいただけるとありがたいです