深々と雪が降っていた。
幾ら好成績で士官学校を卒業したとはいえ、こんな辺境の地の寒さにまで耐久がついている訳ではない。
ついていないものだと考えてから、新卒兵の扱いなどそんなものだと改めて思い直す。
いや、一年で少尉から中尉に昇進して一個中隊の隊長を務めているのだから自分は寧ろ恵まれている方だった。
更に考えを改めながら、メルクリウス=リトラーは部下の足跡の残る雪道を歩いていた。
実際は恵まれているなどという程度の話ではなかったが、彼はそれを溜め息一つで片付けた。





今回の任務で成果を挙げなければ次の昇進が難しいだろうということが彼には分かっていた。
逆に言うならばこの任務で大きな成果を上げれば確実に昇進に繋がるだろう事も。

「何としても、昇進しなければ。」

上へ上へと昇り詰めなければ身動きがとれない。
中尉としての権限などたがか知れている。
彼には何としても這い上がらねばならない理由があった。

「…………ミクトラン。」

自らを天上王と名乗る、地上軍の裏切り者。
リトラーにとって、唯一の血の繋がった家族。

「必ず、討つ。」

呟いて、掌に力を込める。
その為には、一つひとつの任務を確実にこなし武勲を立てる必要があった。
今回の任は後に来る部隊を待つ間、先遣して牽制を行う事が目的であったが、リトラーにそのつもりはなかった。
言われたことをこなすだけでは意味が無い。
その上を行かなければ。
事実、今までもその様に動いてきた。
その結果としての役職が中尉だった。
それは目的以上の成果を常に出し続けてきたから。
今回の任もリトラーにとっては大隊の殲滅が目的だった。
凡そ三倍の人数を前に何とも強気な事だが、リトラーには勝算があった。
士官学校を卒業したばかりの情報兵がこの間から三人程加わった。
その中の一人が恐ろしく有能な事にリトラーはすぐ気がついた。
運がよかったのだと思った。
新卒の兵士の中にこんなに有能な人材が眠っているなどと、正直なところリトラーは考えてもいなかった。
一見すると女性のような面立ちの彼は、敵兵の詳細な人数、保有武器数、部隊長の名前や性格等、こちらの予想以上の情報をかなり正確に用意したのだ。
そして地形についての綿密な打ち合わせ。
上手くやればこちらの部隊に被害を出さずに総員殲滅という事も可能だとリトラーは考えた。





現実は恐ろしいほど容易に、リトラーの思惑に沿って流れた。
敵大隊は情報兵の予想した通りの村に襲撃をかけてきた。
既に包囲されているとも知らず、半数以上の兵が村へと襲撃に繰り出した。
狙われるだろうと推測された村の近辺に、兵達が長時間寒さから身を凌ぐ場所があったことも幸いした。
リトラーの号令に合わせて、兵達は一斉に敵部隊へと攻撃を開始した。
敵部隊の後援が到着するころには、自ら前線に出たリトラーが大隊長の首を狩っていた。
敵の士気は一気に殺がれ、元々前線に出て戦う事を得意としない後援はたちまちのうちに崩れ落ちた。
負傷者五名、いずれも軽症。
当然のごとく隊内から死者は出なかった。
戦場となった村では一般人の犠牲者が幾らか出たが、それは仕方の無いことだった。
大隊に普通に攻め込まれていたら、こんな村などひとたまりもなかった。
寧ろそれだけの被害で済んだ事は賞賛に値する。
後やるべき事と言えば、残党狩りの兵達を向かわせる事と、情報兵が集めてくる情報を聞き現状を把握する事だけだ。
怪我をしていない者の中から残党狩りの班を作りそのまま周囲の探索に当たらせる。
指揮は小隊長に任せた。
現状の把握も間も無く終わるだろう。
とても有能な情報兵を保持しているのだから。





四半時も待たない内に例の情報兵が目の前に現れた。

「やあ、マイナード少尉。ごくろうさまだね。」

マイナード少尉は敬礼すると、手許のファイルを見遣り現状の報告を始めた。

「敵部隊748名中736名の死亡を確認しました。逃亡したと思われる12名の内8名の身柄を確保。内3名は自決、5名は捕虜として捕らえています。依然逃亡中の4名は現在も捜索中です。」

この短時間でここまで詳細な人数を把握したマイナード少尉に、リトラーは思わず微笑んだ。
少尉は部下を使うのが随分と上手いようだ。

「被害確認の方はどうなっているのかね。」

尋ねると、少尉は一枚ページを捲って報告を続けた。

「民間人16名が巻き込まれて死傷しています。軽症者8名、重症者5名、死亡者3名。全村民の5%以内ですから被害は軽微だったと言えるでしょう。」

リトラーは小さく頷いて言った。

「規模の大きい村だからね。制圧されたらたちまち辺り一体に被害を及ぼす所だった。」

寒い地方では集団でなければ生活が難しい。
その為村ごとの規模は大きくなり、必然的に一つの村落ごとの距離は離れる。
そんな中でも特に大きな村だ。
制圧されたら劣性を強いられるのは目に見えていた。

「君のお蔭だ。」

その言葉に少尉は少し詰まってから、こう告げた。

「中尉も、ここが狙われる事は気付いておられたでしょう?」

人のいい笑みを浮かべてリトラーが答える。

「可能性には気付いていたけれどね。君の詳細なデータ……例えば部隊長の性格から判断するに最初に大きな村を制圧するだろう、といった事がなければここまで一箇所に人員を集中させる事は出来なかったよ。」

マイナード少尉は、その答えに呆気に取られた。

「お手柄だったね。」

風変わりだが人を惹きつける、これがカリスマ性というものだろうか、という考えが不意に浮かんだ。

「ならば、ご褒美を頂けますか?」

もしかしたら、という思いを胸にマイナード少尉は切り出した。
変わった人だが、その分融通が利くかもしれないと考えての事だ。
叱られたら、その時はその時だと半ば腹を括ったらしい。
上官に対してそんな事を言う部下など見た事がなかったのだろう、中尉は驚いたように少し目を見開いた。

「どんな褒美が欲しいのかね?」

しかし、次の瞬間には笑ってそう答えた。
その答えを聞いたマイナード少尉は思惑が当たった事に少しだけ笑みを零して、言葉を紡いだ。

「死亡者の内2名は夫婦でした。どうやら子供を守る為に自ら盾となって死亡したようです。」

リトラーは神妙な面持ちでそれを聞いていた。

「ちなみにこの子供ですが、周りの村民に確認した所、他に身寄りが無いという事が判明しました。」

戦争孤児。
マイナード少尉はファイルをそっと閉じて、リトラーに告げた。

「中尉のお力でこの子供を軍の孤児院へ入れられませんか。」

戦時下の孤児院など何処もいっぱいだ。
酷い扱いを受けるのは考えずとも分かりきった事だった。
それでも、軍の中央府下の孤児院ならば他所よりましだろう。
そのまま差し出されたファイルを手にとってリトラーは微笑んだ。

「その子供に会わせて貰えるかい?」

少尉は安堵の表情を浮かべると、リトラーを案内した。





衛生班のテントの中に子供は居た。
いや、正確には子供達と呼ぶべきなのかもしれない。
一人がもう一人を守るように抱きかかえている。

「…………双子、か?」

双子の片割れが赤い髪を揺らして頷いた。

「名前は、言えるかい?」

リトラーが穏やかな声で尋ねる。

「……カーレル=ベルセリオス。」

もう片方は中空を見つめたまま何も喋らなかった。
マイナード少尉に視線を遣ると、彼はぎこちなく視線を逸らした。

「……兄は何も見なかったそうですが、弟は母親の肩越しに両親が刺される所を見たようです。」

リトラーはただ呆然とした表情で少尉の報告に頷いた。
放心状態の弟を守ろうと、兄のカーレルはその体を抱えているのだろう。
ただ一人の血縁。
ただ一人の肉親。
それが自分と重ならなかったと言えば嘘になる。

「分かった、私が引き取ろう。」

少なくともそんな言葉を発する程度には自己投影していたのだろう。

「リトラー中尉!?」

マイナード少尉から驚きの声が上がる。
たかだか十九歳の若造が子供二人を養育するなど、どうみても無理がある。

「大丈夫だよ、少尉。心配することは無い。」

しかしリトラーはそう言い切って双子にそっと歩み寄った。
カーレルが弟を抱えたまま後ずさる。
その反応に困ったように足を止めて、なるべく刺激しないように言葉を選びながらカーレルに尋ねようとした。

「その、君達のお父さんとお母さんなんだが……。」
「死んだ。」

リトラーが逡巡する隙間にカーレルは鋭くそう言い放った。
この子供がどれだけ自分達の現状を確認できているのかが気になったのだが、思っていたより随分と聡いらしい。

「では、これからの事を考えなければならない事はわかるね。」

カーレルが疑り深い眼差しを湛えたまま小さく頷く。

「私の所に来るかい?」

カーレルが十分に話を理解しているだろうと判断して、リトラーは提案した。
本当に信じていいものか、カーレルは悩んでいるようだったが、やがて口を開いて言った。

「お前の、名前は?」

リトラーはこんな状況下でさえ一般的な事を尋ねるカーレルに苦笑した。
随分と大物だ。

「これは済まなかった。まだ名前も名乗っていなかったとはね。」

そしてそっと右手をカーレルの目の前に差し出した。

「私はメルクリウス=リトラーだ。」

暫くカーレルは固まったまま、沈黙だけが空間を支配していた。
だが、やがておずおずとカーレルの小さな右手が伸ばされた。
勿論左手で確りと弟を抱えたままだったが。

「……リトラー。」

カーレルがその名を呼ぶ。

「メルで構わないよ。」

そっとリトラーの手を握って、カーレルが本当に僅かながら微笑んだ。
それを見て、リトラーは二人を纏めて抱き上げた。
そして未だ呆気に取られている少尉に目配せをした。

「……知りませんよ、中尉。」

この人に言ったのは失敗だったかもしれないとマイナード少尉は思った。

「大丈夫だ。ね、カーレル。」

カーレルは小さく頷いた。





それが、始まり。










総司令とイクティノスとベルセリオス兄弟の出会い^▽^
育児編もまた書きたいなーとか思ってます
あ、軍事関係はあんまり詳しくないので結構テキトーばっか書いてます