何が切欠だったか。
そんな事も思い出せないが、確かささいな事でふざけていただけだったように思う。

「ひっでー、ディムロスの苛めっ子!」

ハロルドが不満そうな顔でそう言った。
明らかに冗談を含んだ言い方だが、いい年をして苛めっ子というのはどうなのだろう。

「お前な……。」

呆れを前面に押し出して溜め息を吐いた。

「オレは生来の苛められっ子だからなぁー。」

話題に乗らなかった事が不服だったのか、ハロルドもあーあ、と溜め息を吐いた。

「ハロルド、お前が苛められっ子なら世の中全員苛められっ子になるぞ。」

有り得ない話題に、中断していた読書を再開する。

「あ、ディムロス全然信用してねーな!」

椅子に逆向きに跨って、足を揺らしながらハロルドが言った。
しつこい奴だと思いながらページを捲ると意外な声が降ってきた。

「そんなに信用できないんなら兄貴に聞いてみろよ。」

まさかそんな言葉が出てくるとは思わず、ハロルドを凝視してしまった。

「ほら、思い立ったら即行動!」

ハロルドは私の手から本を取り上げると、そのままカーレルの部屋へと腕を引いて行った。

「お、おい……職務中に押しかけるような真似は出来んぞ!」

慌てる私の腕を引きながらハロルドは笑った。

「だいじょぶだいじょぶ。兄貴今日は非番で部屋に居るから。」

普段は休みなら二人揃って私の部屋に押しかけてくるのに?
奇妙に思ってハロルドを見遣ると、それに気付いたのかハロルドは短く答えた。

「何か今日はやりたい事があるからってさ。」

何か用事があるのに押しかけるのも気を遣うが、職務中でないのなら二、三質問をするくらいは構わないだろうか。
それに、本当に邪魔になる様ならそのまま引き返せばいい事だ。
そう考えている内にカーレルの部屋の前まで来ていた。
ノックしようと拳を出したが、その前にハロルドが遠慮の欠片も無く扉を開けた。

「よう兄貴!」

カーレルは驚く風でもなく微笑んで弟を迎えた。
今更か、とも思いながら開いたままの扉を二度ノックする。

「邪魔するぞ。」

室内に入って、手短に挨拶をする。

「うん、いらっしゃいディムロス。」

カーレルはそのままの笑みで答えた。

「聞きたい事があって来たんだが、ハロルドから用があると聞いている。」

迷惑になるなら……と続けようとした言葉はその前に掻き消された。

「聞きたい事?」

ハロルドがそれに答える。

「オレが生来の苛められっ子って言ったら、ディムロスが胡散臭そうな顔するんだよ。」

それを聞いてどういう状況なのか納得したらしいカーレルは、私たちを手招いてソファにかけさせた。





「まあ、ハロルドはよく苛められてたよね。」

三人がそれぞれソファにかけて落ち着いた所で、カーレルはあっさりそう言ってのけた。

「ほらー。」

ハロルドが何故か得意気に同調する。

「……信じられんな。」

それを証明しようとわざわざカーレルの部屋まで連れてくるのだから、本当の事なのだろうとある程度は予期していたが、まさかこんなにあっさりと言われるとは思わなかった。

「苛められてはよく私に泣きついていたよ。」

あの頃のハロルドは可愛かったなあ、今も勿論可愛いけど。
続くブラコン全開の台詞は聞かなかったことにする。

「兄貴はよく庇ってくれたよな。」

ハロルドがそう呟く。
それを聞いて尚ハロルドが苛められていたという事実が信じられない。

「コイツが悪ガキに苛められている所が全く想像できん……。」

ぼやくように言うとカーレルは困ったように苦笑した。

「そりゃ、ね……。」

言い難そうにするカーレルに対し、ハロルドは続きを簡単に言ってのけた。

「苛められたのって同年代じゃねーしなー。」

そんな台詞に思わず目を瞠った。

「ほら、俺ら軍で育ったし?」

補足するようにカーレルが続ける。

「私たちは総司令に育てられていたからね。司令の事をよく思わない人間の鬱憤の捌け口だったのさ。」

固まって動けない私にハロルドは更に語った。

「子供に発言権なんてねーからなー。メルには黙ってるようによく脅されたっけ。」

発言権がない、のではなく信憑性を得るのが難しいだけだという事は鈍いと言われる私にも理解できた。

「私たちにもプライドがあるから元々言うつもりなんてなかったけどね。」

溜め息を零してカーレルが呟く。

「でも、何でかオレばっかり苛められてさあ。」

苦笑しながらハロルドが言う。

「私は泣かなかったからね。どうやら泣かない子供を殴っても面白くないらしい。」

くすくすと自嘲的な笑みを零してカーレルが答えた。

「あー、オレはびーびー泣いてたからなあ。」

二人があんまりな内容を平然と話すのに言葉が出なかった。
つまりはそれが二人にとっては普遍の日常だったという事。

「アンチイクティノスのも無かったっけ?」

ハロルドが思い出したように言う。

「それは一度だけだよ。あの聡い少将が気付かない筈がないから、多分見せしめに何かしら懲罰でも喰らったんじゃない?」

少将に直接聞いた訳じゃないから分からないけどね。
カーレルはそう笑って付け足した。

「馬鹿な奴だよなあ、懲罰や減俸で済んでりゃいいけど。」

あのイクティノスだからな。
含みのある言い方をして、ハロルドはカーレルを見遣った。

「何とも言えないね。」

カーレルはそう言って小さく肩をすくめた。





二人の会話を聞いていたディムロスはすまない、と言いかけて口を噤んだ。
それはついついやってしまう同情や憐憫に近い台詞で、しかし、そんな事を彼らに言うのは失礼だと思ったからだ。
言うべき言葉を持たないディムロスは、ただ俯くしかなかった。
自らの長い前髪で隠さなければ、目の淵に溜まり始めた涙を見られてしまうからだ。
そんなディムロスの様子に気付いたハロルドが、彼の青い頭を引き寄せてこめかみに小さくキスをした。
俯いてハロルドの顔も見えないままそれを押し退けようとしたが、振動で涙が零れた。
真下を向いていた所為で涙は頬を伝うことなく垂直に零れて、白いディムロスの服にぽたりと染みをつけた。

「何も泣かんでも。」

赤子をあやす様にディムロスの頭を撫でて、ハロルドはカーレルを睨んだ。
ハロルドの知らなかった情報でもって興味を惹いて、態とディムロスに凄惨な会話を聞かせようとしていたのに気付いたからだ。
よくも泣かせたな。
そう語るハロルドの視線に、悪びれる様子もなくバレたか、と視線を返す。
悪戯を終えた子供のように溜め息を吐いて椅子から立ち上がると、カーレルはディムロスの目の前まで歩み寄った。

「ごめんね、ディムロス。」

そして、柔らかな手付きでその頬を掬うとそっと顔を上げさせた。
若い為に弾力性はあるが、何処と無く乾燥してカサカサしている。
男の肌だな、とカーレルは思った。

「すまない。」

ディムロスは涙に濡れた睫毛と共に視線を落とすと、一言そう呟いた。
今度のものは自身を恥じる謝罪だった。
そんな涙で湿ったディムロスの目許にハロルドはわざとらしいまでにちゅ、と音を立ててキスをした。
カーレルもハロルドに倣って反対側の目許に口付ける。
双子の左右からの口付けにディムロスは暫し固まって、次の瞬間真っ赤に憤慨しながら部屋を出て行った。

「可愛いやつめ。」

唇の端についた水滴を舐め取ってハロルドが笑う。

「昔はあんなに嫌っていたのに、随分と彼がお気に入りになったものだね。」

カーレルはゆっくりと扉へ向かって足を進める。

「兄貴、妬いてる?」

ディムロスが出て行く際に開け放したままの扉をきっちり閉めて、カーレルは言った。

「かもしれない。」

ソファ越しに振り向くハロルドに歩み寄って、カーレルは微笑む。

「仕方ねえなあ。」

ハロルドはソファに膝を突くと、そこから身を乗り出してカーレルにキスを送った。

「満足?」

唇を離して尋ねると、そこには普段見せない人の悪い笑みがあった。

「割と。」
「あっそ。」





その後、用を済ませたカーレルとハロルドが二人してディムロスの部屋を訪ねたが鍵をかけられ、入れてもらえなかったという。










ハロルドって苛められっ子だったんだよなあ……と思って書いてみました
女の子の方が絶対可愛く書けただろうけれど、男の方が書きやすかったので……こんな事になりました
あ、カーレルは別にディムロスに嫉妬して嫌がらせをしかけたんじゃなくて、ディムロスにちょっかいかけて遊びたかっただけですよ

以下、イメージ^▽^

ベルセリオス兄弟とディムロスは同期だから割と仲がいい
ハロルドはディムロスが好きだとアピールするけど、ディムロスはジョークと受け取っている
カーレルとディムロスはお互いに親友だと思っている
ディムロスはどちらかというとカーレルに近しい感覚でハロルドを見ている為、よく弟のような扱いをする
ハロルドとカーレルは両依存
傍から見るとハロルドの方が依存している様に見えるけれど、依存度はカーレルの方が高め