正装は肩が凝る。
溜め息を零しながら、胸に階級を示すバッヂをつける。
普段のラフな服装なら、幾分かマシなものを。
鏡を覗き込んで、髪を整える。
正装、という事はこのティアラも外さねばならないだろうか。
渋々と鏡の前にティアラを置いて、手櫛で軽く髪を整えて部屋を出た。
開式は九時半だった筈だ。
今が何時かは分からないが、もう随分な遅刻だ。
物思いに耽っていたのならともかく、実際の所ただの寝坊なのだからどうしようもない。
慌てて向かった先では、とっくに作業が終わり、参列者達は各々に解散した後のようだった。
「遅かったな。」
その場所に未だ一人残っている、青い長髪が声を掛けた。
「寝坊しましてね。」
「そうか。」
不服そうな顔をしつつ引き下がった辺りを見ると、彼を悼んでいた所為で遅刻をしたのだと思われているのだろう。
相変わらずの優等生な考え方に、後ろから蹴り飛ばしてやりたくなったのを何とか堪えて声を掛けた。
「あの子はもう、土の下ですか。」
「…………ああ。」
カーレルは、とっくに埋められてしまったらしい。
これはまた盛大に遅刻したものだと思いながら、ゆっくりとその墓碑銘を視線でなぞった。
「なあ、イクティノス。幾らなんでも、早すぎやしなかったか……。」
呟くディムロスの髪が風に靡く。
その拳が握り締められているのを見て、涙を堪えているのを察した。
「……中将はあの子と同い年でしたね。」
「ああ。」
核弾頭と称されるディムロス=ティンバー。
天才双子と称されたベルセリオス兄弟。
彼らはこの戦争が始まった年に生まれた子供達だ。
ならば、知らないのだろう。
「初めてご覧になる空は、いかがでしたか?」
きっと空など見た事が無かっただろう。
あの子と同じで。
「この世界には、こんなに……こんなに綺麗なものが、あるのかと……。」
この塵埃だらけの空を称してディムロスは小さく呟いた。
拳の震えが大きくなる。
揺れる感情を必死で押さえつけているのだろう。
「こんなに暖かなものがあるのかと……。」
「…………。」
「共に、眺めようと思っていたんだ……!」
「……そうですか。」
緑を湛えた瞳から、堪えきれずに涙が零れていた。
それを拭う事もせずにディムロスは呟いた。
「何故だ、カーレル。何故だ……。」
そんなディムロスをただ眺めながら、小さく溜め息を吐いた。
つられて涙の一つも零れるかと思ったが、どうやらそうはいかないらしい。
何故なら。
あの子が死んでしまう予感は、以前からあったのだから。
以前、総司令室で溜め息を零しながらこんな事を言った事があった。
「この地上が平和になったら、ゆっくりと何処かへ行きたいものですね。」
「そうだな、4人でゆっくりしたいものだ。」
リトラーが答えて微笑んだ。
四人、という頭数に自分が入っている事にカーレルは複雑そうな顔をしていた。
瞬間。
嫌な気持ちになった。
いつもなら、例え本意でなくとも私達の提案に乗るカーレルが、ただ曖昧に笑うだけだったから。
叶えられない約束はしたくなかったのだろうと思った。
そして、私がそれに気付いている事にも、あの子は気付いていた。
あれはそういう子供だった。
ぼんやりと思考の渦に溺れていたが、視界の端に未だに肩を震わせて泣いているディムロスを見つけて我に返る。
職務中は徹底して涙を見せないようにしていたあのディムロスが、涙を堪えきれずに泣いている。
あの子の事をこんなに悼んでくれているのは少し嬉しかった。
「中将、冷えますよ。戻りましょう。」
「…………。」
「ティンバー中将。」
「……ああ。」
堅苦しくそう呼ぶと、ディムロスは何とか仕事の顔を作ってこちらを振り向いた。
昨日の夜も泣き続けていたのだろうか。
涙を止める人がいないその目許は、痛ましいほどに赤かった。
自室に戻って、チェアに腰掛けて天井を見上げた。
何をするでもなく、ただ、ぼうっとするなど一体何年ぶりだろうかと思った。
あの子を悼んで涙の一つでも流してやりたかったが、結局それはどうしてもできなかった。
結局、自由な時間を持て余してパソコンを立ち上げる。
戦争の後処理の為に必要な情報を今の内に纏め上げておこうと思ったのだ。
立ち上がるのを待つ間に、古い資料をデスクの引き出しから取り出す。
すると、奥の方に小さな箱が見えた。
「何だこれは。」
取り出してみると、それはタバコの箱だった。
「ああ、なるほど。」
思わず一人ごちる。
カーレルとハロルドが来てからというもの吸わないようにしていたから、そのまま仕舞い込んで忘れていたのだろう。
もっとも当時の自分は十八歳だったのだが。
後ろ暗い所があった所為で、仕官学校時代から喫煙を繰り返すハロルドを強く叱れなかった事も一緒に思い出されて妙に気恥ずかしくなった。
「久しぶりに……。」
タバコを銜えてライターを探す。
しかし見つからなかったので、仕方なく実験用のマッチで火をつけた。
一口吸い込んで、顔を顰める羽目になった。
ハッキリ言って不味い。
何故昔の自分はこんなものを吸っていたのだろう。
それでも、勿体無いからと煙を吸い込んだ所でノックが響いた。
「イクティノス、オレだけど。」
慌ててタバコを消した。
あまりにも慌てすぎて、火傷をしかけた。
「ど、どうぞ。」
咳払いをして、そう告げると扉が開いて、見慣れた赤い髪が部屋の中へと足を踏み入れた。
「どうかしましたか……?」
声を掛けるとそのままぎゅうっと抱きつかれた。
「は、ハロルド!?」
「イクティノス、タバコくさい!」
ばっと顔を上げてそういう様はあまりに幼くて。
まさかカーレルを失ったショックで幼児退行を起こしているのではあるまいと、少し不安になった。
「勿体ねー、まだ全然吸ってないじゃん。」
しかし、実験用の灰皿を除くハロルドは普段通りで。
ハロルドが離れてしまった事を残念に思うのは私が親バカだからだろうか。
「久しぶりに吸ったら不味かったんです。」
あの子と同じ色の髪をそっと梳きながら呟く。
「ああ、オレ達が来てから吸わないようにしてたもんな。」
ばれていたのか。
あの頃から聡い子供だと思っていたが、それもここまで来ると呆れが先行するようだ。
「で、一体何の用事です?」
「パパに会いたくて。」
溜め息と共に零すと、ハロルドは笑顔で減らず口を叩いた。
眉間を顰めて睨んでやると、ハロルドは気まずそうな顔で頭をかいて呟いた。
「イクティノスが、泣けないんじゃないかと思って……。」
その言葉に少なからず驚く。
「あ、なたこそどうなんです……?」
「いいんだよ。俺の分はディムロスが泣いたから。」
ごまかすように呟くと、そんな言葉を返されて。
ハロルドは泣いたものだと思っていただけに更に驚いた。
「では、私の分は司令が泣いた事にしておいて下さい。」
あの人ならば墓の前で、きっとみっともない位泣くだろうと思った。
ハロルドもそう思ったのか苦笑を浮かべながら、私のデスクに腰掛けた。
「そんな、泣けねーよなあ……。」
「そうですね……。」
視線を落として考え込むハロルドに同調する。
「あーあ、23か。若かったよなあ。」
「そうですね、私より12も若いのに。」
「まるで自分は年寄りみたいな言い方だな。」
「もうぼろぼろの老体ですよ。」
「その年でそんな事言ってたら、クレメンテのじいさん怒るぞー。」
軽口を叩きながら考える。
あの子はまだたったの二十三歳だったのだと。
戦争の始まりと共に生まれ、あの子の死によって終わりが齎された。
まさに、戦いの為だけに生きた人生だったように思う。
自分の命を事もなく投げ捨てるような子だった。
それでも、もしも。
もしもあの子がもっと自分の命を大切にしていたら。
私は多分、号泣していたに違いない。
今は冷たい石の下で眠るあの子と昔のように並んで眠る事はできないけれど。
あの子が満たされている様にと、切に願う。
カーレルがいなくなった事を悼む人達と、カーレルが軽んじた命を悼む事ができない人達
残された者の方が辛いんじゃないかと
それにしてもイクティノス、完璧にお母さんですね……