幼い頃の夢を見た。
布団から起き上がった先から朧気になっていくそれをぼんやりと振り返る。
わんわんと喧しく泣いていた事は何とか思い出せるのだが、はて、一体何だったろう。

長く伸ばしている所為かあるいは元々そうなのか。
寝起きでもあまりはねない緑の髪を一房掬って、夢の内容に思考を馳せた。

「まんじゅう……?」

何故だろう、饅頭が何か重要な鍵を握っている様な気がする。
今のところそれだけしか思い出せないが、取り敢えずは起き上がってインスタントではない珈琲を淹れようと思う。

今日は珍しく。
そう、本当に珍しく休日なのだから。

そうは言っても、この立場になれば休日などあって無いに等しい。
今日も煩雑な書類の整理に終われるのだ、と溜め息を零しながら珈琲メーカーのスイッチを入れた。
水の沸騰するコポコポという音と、芳ばしく漂う豆の香り。
心地よい環境で、椅子に腰を落ち着けながら、もう一度先ほどの夢を思い返した。

「はて、本当に一体なんだったのだろう。」

饅頭が重要だなんて、気になるではないか。
珈琲の香りの中で、一人夢の内容を考え込んだ。





黒いコートをたなびかせながら、総司令の私室のドアを叩いた。

「カーレルです。」

そう告げると、中から少し驚いたような顔で司令が顔を出した。

「おはよう、カーレル。」

唐突に部屋を訪ねたので驚いたのだろう。
本当は直ぐに済む用事だったが、中へと手招かれたので素直にそれに従った。

ちなみに余談だが、この人は職務中以外は私の事を呼び捨てにする。
公私をきっちりと分ける人なのだ。
もともとディムロスの公私混同を嫌う精神はこの人から来ていた。
司令は彼ほど潔癖に二つを分かとうとする訳ではないが。
私の親友は貴方に憧れるあまりあんなに生真面目な男になってしまったんですよ、と言ってやろうかなどという邪な考えが、一瞬頭を過ぎる。
そんな事になったらあの男は真っ赤になって怒るだろう。
その姿を眺めるのも楽しそうだが、暫くは口もきいてくれないだろうから、やはり止めておく事にした。

「カーレル、君が朝から訪ねて来るなんて珍しいね。」

そんな事を考えるていると、総司令が嬉しそうな声でそう言った。
私の分まで珈琲を淹れている所を見て、滞在が長引きそうだと思った。

「残念ながら、朝食は済ませてきましたよ。」
「なんだ、折角一緒に食べようと思ったのに。」

私の手の上のトレイを眺めながら総司令がマグを渡してきたので、そう話す。
残念そうに言う司令は眉尻を落として溜め息を吐いていて、こんな顔を職務中に見せた事があったろうかと少しにやついてしまった。

「今日はお休みだから、時間的にまだ食事をとっておられないと思いまして、司令の為に用意してきたんですよ。」
「その司令、というのは止めてくれないかな。休日だというのに気が滅入る。」
「司令は司令ですから。」

笑顔で言うと、不服そうな顔で抗議される。

「昔のようにお父さんと呼んで欲しいものだね。」
「残念ですが、そんな事を言った覚えはありませんね。」

職務から遠ざかると途端にこれだ。
親バカがあっという間に顔を出して、普段のキリッとした面影はたちどころに見られなくなる。
いや、入軍して初めてあんなにマトモな顔が出来ると知ったのだが。

「冗談だよ。メルって呼ん……。」
「分かりましたリトラーさん。」

言葉を途中で遮って、勝手に頷いてみせる。
メルと呼んだ事も私の記憶違いでなければ、無い。
最初に出会った時にそんな事を言われた様な記憶はあるが、引き取られた直後は不遜にもメルクリウスと呼び捨てにしていたし、ハロルドの意識が戻ってからはリトラーさんと呼んでいた筈だ。

「相変わらず君はつれないね。」
「ハロルドほど簡単にはつれないかもしれませんね。」

昔から君はそうだったと言いながら、総司令は珈琲を一口含んでその香りを楽しんでいた。

「さあ、どうぞ。」
「ありがとう。」

トレイを差し出して言うと、司令は嬉しそうに顔を綻ばせてそれを受け取った。
サラダと、目玉焼きと、砂糖を少し多めに掛けたシュガートースト。
栄養価的には少し偏っているかもしれないが、少しくらいなら目を瞑ってもいいと思う。

勿論こんなものが私に作れる訳が無いので、全てハロルドに頼んだものだ。
料理の才などというものは何故か私には一切存在しないのだ。

司令はこう見えて意外と甘いものに目が無い。
元々物資の少ない地上において甘いものを苦手とする人間は少ないが、それを考慮に入れずとも司令は無類の甘党だと思う。
立場上、周りの目を気遣って甘いものは余り食べないが、制約がなければ三食甘味で済ませるのではないかという位だ。

……流石にそこまでではないだろうか。
ちらりと司令を見遣ると、満足そうな顔でシュガートーストを頬張っている。
やはり甘党だ。

「甘いものがお好きですね。」
「え、いや、そんな事はない。」

ぽつりと呟く。
司令が少し照れ臭そうな顔でそう言った。

「この戦争が終わったら、甘いものを買い占められてはいかがです?」
「……カーレル、君は一体私を何だと思っているんだい?」
「でも、お好きでしょう? ケーキも、クッキーも、チョコレートも、アイスクリームも、ねりきりも、饅頭も……。」

いたずらな顔でそう言うと、司令は呆れたような表情でそう言った。
適当に思いついた菓子の名を並べていくと、ふと司令の表情が凍った。

「…………お嫌いでしたっけ、お饅頭。」

仕事の時以外にもそんな顔が出来るんだな、と少し発見をしたような気持ちになって追求する。

「いや、そんなは事無いよ。」

しかし、次の瞬間には司令は作り笑いをしてそう言った。
何だか機嫌が悪そうだと察知して、珈琲を飲み干してから笑顔で礼を言う。

「ごちそうさまでした。そろそろ仕事が始まるので私は失礼しますね。」
「ああ、頑張っておいで。」
「ええ、総司令も。」

どうせこの人は休日も返上で仕事に明け暮れているのだから、それ位の返事で丁度いい。
司令の私室を出てから数歩距離を置いてから、そっと呟いた。

「まんじゅう……?」

全く以って意味が分からなかった。





カーレルが珍しく部屋に訪ねてきて、しかも私を気遣っての事と知って、少しばかり有頂天になっていた事は認めよう。
その所為で夢の事などすっかり失念していた事も認めよう。
だからってあんなタイミングで全てを思い出さなくても良かったと思う。

「饅頭、か……。」

幼い頃、自分には兄が居た。
過去形だからといって、亡くなった訳ではない。
天上にあがって、その脅威の技術力で以って容姿を変えてしまったのだ。

彼の人の髪は、今や綺麗な金色だ。
緑などという少数部族特有の髪の色ではない。
もはや、私の兄ではないのだ。

「そうだった。よく菓子を隠されたものだ……。」

食糧難のあの状況下において、子供にとってのおやつはまさに死ぬほど大事なものだった。
一日の中で一番楽しみな時間。
そして、饅頭だとか、そういったいつもより少し贅沢なおやつ。
そういう日に限って、彼はそれを持って何処かへ隠れてしまうのだ。
私は泣きべそをかきながら兄の姿を探した。

『お兄ちゃん、お兄ちゃん何処……?』

彼はいい年をして弟をからかうのが好きだった。
従軍していながら時々は帰ってきて、そしてこういうくだらない事をするのだ。
もっとも、その頃の私は軍で立派に活躍する兄に憧れてもいたのだが。

『返してよ、僕のおやつ……。』

すんすんと鼻を鳴らしながら暫く辺りを探していると、兄が何やら呟く声が聞こえて、いつもそれを頼りにその姿を探し当てるのだった。
その時は兄がうっかり、ずっと掌に饅頭を隠し持っていた為、饅頭がふやけて食べられたものではなくなってしまっていた。
わんわんと泣き叫ぶ私に、兄はおろおろしながら「分かった、メルクリウス! 兄さんが、今度帰ってくる時にいっぱいおやつ買ってくるから! な? だから許してくれ!」と、必死な顔で言っていた。
何とか泣き止んだ私の頭を撫でて、兄は笑っていた。
思えば、その時から兄は帰還のたびに毎度、菓子を手土産にするようになったのだった。

何だかとても微笑ましい話の様な気がするが、それと同時に嫌な事まで思い返してしまった。
それを押し流すように珈琲を一気に呷る。

『ふふふ、探してる探してる。メルクリウスが私を探してる。』

隠れているタンスから聞こえてきた兄の言葉だ。
昔は気にしてもいなかったのだが今になってよくよく考えると、正直なところうっとうしいし、ハッキリ言って気持ちが悪い。
テーブルに叩きつけるようにして置いたカップが、カン、と耳障りな甲高い音を立てた。

「おのれ、ミクトランめ……。」

ちらりと手元に視線を遣ると、カップは真っ二つに割れていた。
私は空にした食器とトレイを流し台へと運んでから、それを掃除して、その怒りをぶつけるように仕事に励むのだった。










ミク様とリトラーさんの話でした^▽^
10円玉氏の影響でミク様は気持ち悪い人だという概念が強いので、こんな事になってしまいました
わあ、大変^^^^^
と、いう事で、いつにもまして捏造甚だしい話でしたー