ピンポーン。
玄関のチャイムを鳴らしてディムロスが出てくるのを待つ。
約束を取り付けている訳では無かったが、まあ問題は無いだろう。
お互いに、大体いつもそんな感じで家を訪ねているのだから。

「はい、どちら様ですか。」

インターフォン越しにディムロスの声が聞こえる。

「オレ。」
「何だ、お前か。鍵、開いてるぞ。」

二文字だけで告げると、ディムロスはそう返してインターフォンを切った。
まだ時間的には朝だからと思ってチャイムを鳴らしたのだが、そんな気遣いはいらなかったようだ。
いつもの如く無遠慮に扉を開けて、室内へ上がりこむ。
高校の時からの付き合いなのだから……かれこれ九年だ。
これが、今更、というやつなのだろう。

「おじゃましまーす。」

便宜上と言うか習性と言うか……。
とにかくそう告げて、慣れた勝手でリビングへと向かった。
リビングの扉を開けると、その奥のキッチンからディムロスが此方を覗き込んだ。

「朝は食べてきたのか?」
「あれ、珍しいな。」

質問の答えとしては、ちぐはぐだが、珍しい事態に本当に驚いたのだ。

「何がだ。」

憮然としてディムロスが問う。
本人も分かっているから、そう不機嫌な返答になるのだろう。

「髪、朝から整ってるなんて。」

この友人は生真面目の塊の癖に、自分ひとりとなると案外だらしのない一面もあった。
休みの日など、十一時頃まで平気で寝ている事もある。
現在の時刻は九時を少し回った所。
起きている事が奇跡的に思えた。

「…………パンを買いに行っていた。」

なるほど、それで朝から玄関の鍵が開いていた訳だと納得して、Tシャツにジーンズというラフな格好のディムロスを見遣った。
珍しい蒼の髪は後ろで一つに束ねられている。

「…………オレ、食べてないって言ったか?」
「どうせ食べていない癖によく言ったものだな。」

暫くするとオレの分まで朝食が出てきて、思わず顔を顰めてしまった。

「何でだよ、食べてるかもしれないだろ?」
「食べてきていたら、お前は真っ先にそう言う。」

見透かした風に言うディムロスに、渋々オレは皿の上のトーストを銜えた。

「たまごもちゃんと食べろよ。」

ディムロスに先制されてしまって、オレは小さく唸った。

「……動物性たんぱく質はあまり好きじゃないんだ。」
「生憎と植物性たんぱく質は家に置いていない。」

きっちりとバランスよく食事を摂らせなければ気が済まないらしい。
他人がいると生真面目になる、ディムロスのこの性質は一体なんなのだろう。
オレは早々に諦めて、溜め息を吐きながらトーストの上にたまごを載せた。

もそもそと咀嚼して、珈琲と共に嚥下する。
この嚥下という行為がオレはあまり好きでは無かった。
付け加えて言うなら咀嚼という行為もあまり好きでは無い。
少なくともそれらは動物としての本能からは外れているから、若しかしたら自分は動物では無いのかもしれないな、などと思うくらいには。

敢えてひとつ付け足すならば、ディムロスの淹れる珈琲は嫌いでは無かった。





二人で朝食を終えてからは、隣のディムロスの部屋に行った。
まあ、アパートメントなのだから全てがディムロスの部屋なのだが。
ちなみにマンションという言葉はあまり使わないようにしていた。
ここはどう見ても豪邸ではない。
スリムとスマートを同義語として使う事にも納得がいかないのだが、まあそんな事は今は瑣末な問題だ。

ディムロスの書架を眺める。
新たに幾つか本が増えていた。

「またか……。」

溜め息を吐くとディムロスも気付いたのか、その本を手に取った。

「ああ、新刊だ。」
「よくも、まあ……。」

ディムロスが好むのは主にミステリィの類だった。

「この作家の書く話は好きなんだ。」
「何処がいいんだか……。」
「そうだな……恐らく、読んでいて頭の痛くなるような所、だな。」

それはまた、非生産的な事だ。
いや、読書にはそもそも生産性など欠片も無いのだけれど。

「難解な数学の問題を解く時に似ている。」
「じゃあ数学の問題でいいじゃん。」
「それはつまらない。」

よく分からない理屈だと思った。
そんな空想の謎を解く事に一体何の意義があるのか、オレにはさっぱり分からなかった。
現実の事象についての謎を解く方が遥かに有意義だと思える。

「お前の本棚など、私などにはさっぱり分からない。」
「まあ、専門書ばかりだからな。」
「難解すぎる。」

それはそうだ。
難解だから偏った一部の人間しか読まない。
だからこそ専門書と呼ぶのではないか。

「お前なら少し勉強すれば分かるよ。」
「無茶を言うな。」
「ありゃ、割と本気で言ったんだけどな。」

ディムロスは、人より理解力に長けていた。
そこから、自ら考えるのは少し苦手のようだが、付き添って教えれば直ぐに理解するのではないかと思う。

「ほう、お前の眼鏡に適うとは、有難い事だな。」

くつくつ、と喉の奥で笑うディムロス。
だから、冗談じゃないってのに……。

新刊、と言っていた本をディムロスの手から奪って、ぱらぱらと斜め読みした。

「やっぱり、つまんねー。」
「お前にはそうかもな。」

そう言って、ディムロスはオレの手から本を取り返して戸棚に仕舞った。
そのままベッドに腰掛けて、読みかけらしい本を広げる。
多分、それも新刊なのだろう。

「兄貴もきっとそう言うって。」

何かと言うと兄を引き合いに出してしまうのは、ディムロスと話す時の癖だった。
気付いていても、直そうという努力などはしていないのだが。

「カーレルは、血生臭い話はごめんだと言っていた。」

何処に神秘があるのかとも言っていた、とディムロスは少し拗ねた様な口調でそう言った。
確かに、人の死なない殺人事件は起こりようがない。
勿論、殺人事件以外を取り上げたミステリィもあるのだろうが、それにしても何とも兄らしい答えだと思った。

時計を見ると十時半、外の陽射しは明るかった。

「出かける?」

何とはなしに尋ねる。
元々何か用があって此処へ来た訳では無かった。

「それもいいな。」

ディムロスが答えて立ち上がる。
上着を羽織るディムロスを見て、そう言えば自分の上着はリビングのソファに置いてきたのだったと思い出した。

「で、何処行く?」

問い掛けると、ディムロスは少し悩んでこう答えた。

「……本屋?」
「疑問形かよ……。」
「いや、お前が他に行きたい所があるというなら……。」
「あったら尋ねてねーよ。」

それもそうだと頷いて、ディムロスは財布をポケットに入れた。
結局本屋で決まりらしい。

そうと決まれば早速出よう。
何処の本屋に行くかはディムロスに任せたが、進路的に駅前の本屋なのだろうと思った。

「何か買う予定でもあるのか?」
「いや、無い。が、新しく他の作家の本でも読んでみようかと思ってな。」

それもやっぱりミステリィなのだろう。
思わず溜め息が零れた。

「お前は何かあるか?」
「んー……テキトーに見て、気に入ったのあったら、買う。」
「そうか。」

あまり本には興味が無いのだが、偶に自分の気を引くタイトルがある。
そういう時は少し立ち止まってしまう。

十五分ほど並んで歩いて、くだらない話をしながら本屋に入る。
本屋の中というのはいつも独特の紙の匂いがする。
嫌いな訳では無いが、好きにもなれないなと思った。
でも、ディムロスなんかは好きなのかもしれない。
本屋に入るだけで少し機嫌がよくなるから。

ミステリィのコーナーに行くディムロスと分かれて、ふらふらとその辺を見て歩いた。
残念ながら、目にした中で自分の気を引くようなタイトルは無かった。
勿論、全てを視認出来た訳ではないのでただ単に見つけられなかっただけの話だが。

暫くするとディムロスが何冊か本を抱えて此方へとやって来た。
どうやらそれらを買う事に決めたらしい。
と、その中の一冊を差し出して言った。

「これならお前も気に入るんじゃないか。」

表題を見ると『封印再度』と書かれていた。
その傍に小さく副題として『who inside』と記されている。
中々、洒落ていると思った。

「これもミステリィ?」
「そうだ、やはり気に入らないか?」

ディムロスには何となく好む傾向、というものが知られている。
案の定、少し興味が湧いた。

「ん、いや。買ってみるわ。」
「そうか。」

心なしディムロスの声は嬉しそうだった。
多分、気の所為ではないと思う。

レジを通して、そのまま駅前をぶらつく。

「どっかカフェでも入る?」
「ああ。」

アテも無く暫くぶらぶらした後で提案すると、ディムロスはあっさりと受け入れた。
買ったばかりの本が気になっているのだろう。

カフェで珈琲を注文するなり、ディムロスは本を広げた。
他にする事もないのでオレも先程ディムロスに勧められて買った本を開く。

「…………やっぱ、つまんねー。」

空想のキャラクタに空想の殺人事件。
至極どうでもいい。
でも、嫌いじゃないと思った。

「そうか。」

正面のディムロスが静かに答える。
考えている事がバレているのだろうと何となく思った。

「ディムロスは前にこれ読んだの?」
「ああ。以前に図書館で。」
「成る程な。」

持っているのなら、これまでに貸し付けられていた筈だ。
オレが望むと望むまいと関わらず。

「気に入った様で何よりだ。」

ディムロスが小さく笑った。

「何でだよ、気に入ってなんか無いかもしれないだろ?」
「気に入らないのなら、お前は疾うに読むのを止めている。」

見透かした風に言うディムロスに、渋々オレはページを捲った。
何だか朝にもこんな問答をした気がする。

自分が読書というものを余り好まない所為か、書架にはまだ随分とスペースがあった。
そこに、ディムロスがするのと同じように、こんなミステリィ小説が並ぶというのも、まあ悪くは無い気がした。

珈琲を一口すする。
ディムロスの淹れたものの方が、自分の舌には合っていると思った。










現代パロで二人の日常を書こうと思ったら、日常過ぎて中々収集がつかなかった……^▽^;

ちなみにミステリヲタはディムロスではなく私です^▽^
『封印再度』は実際にある作品で、私の一番好きな作家さんのものです
と、言ってもまだ作品の全制覇はしていないんですけどね……

『封印再度』を読んだのは一体いつだったかなあ……
高校に入ってからだった筈だからここ三年以内の筈……
今度、もう一度ゆっくり読み直したいものです