「ピアス、変えたのか?」
ディムロスの呟きに、耳元に手を遣りながら答える。
全く、相変わらずこういう細かい事によく気のつく事だ。
「ああ、これ。前に使ってたやつなくしちゃってさ。」
「大切なものではなかったのか?」
ディムロスの更なる問い掛けに首を傾げる。
何故、唐突にそんな事を。
自分は別段、あのピアスに大切な素振りを見せていただろうか。
「んー、別にそんな事もないけど。っていうか、何でそう思ったワケ?」
「……いや、あのピアスをずっと肌身離さずつけていただろう。」
自らの赤い髪をかしかしとかきながら答える。
そんな風に思われていたのか。
「別にあのピアスにこだわりがあるわけじゃないんだよな。幾つか替えはあるよ。」
そう、ただ単にいちいち箱から取り出して替えるのが面倒臭かったから、ずっとあれをつけていただけなのだ。
「そうなのか。」
「そうだよ。」
左の耳たぶに手を遣って、そのまま装飾を引き抜く。
驚くディムロスにそれを放り投げて、髪をかき上げた。
「ちなみにこっちはイヤリング。」
ピアスと同じデザインで、金具があまり目立たないイヤリングは中々ないので揃いで買ったものを自分で加工しているのだ。
これがまた面倒臭いのだが。
ディムロスはというと、おずおずとした手付きで先程受け止めたイヤリングを眺めていた。
「なるほど、確かにイヤリングだな。」
「こっちはちゃんとピアスだよ。」
言って、右の耳を指し示す。
男が右耳にピアスをするのは同性愛者という意味だと、一般に噂されている。
そんな偏見を避ける為のイヤリングなのだが、自分は目の前にいるこのディムロスが好きなのだから、強ち間違いではないかもしれない。
「どうしてそんな事を?」
案の定、右のピアスの意味など気にも留めなかったようで、ディムロスはイヤリングを丁寧な手付きで返しながら尋ねた。
「さあ? 意味がある事は確かだけど。」
「はぐらかすような事なのか?」
「さあね。」
どうやら迂闊に喋りすぎたらしい。
オレの過去はディムロスには聞かせられないものばかりだというのに。
「まあ、これはリードと首輪みたいなもんかな。」
ディムロスが怪訝そうな顔をした。
幼い頃は良かった。
ずっと二人で居ても、何の問題もなかったから。
周りの大人たちに訝しがられる事もなく、ずっと二人だけで居られたから。
しかし、年を経て、それぞれが大きくなるにつれて、二人だけで居るのは難しくなってきた。
時には別々に分かれて行動をしなければならない事もあった。
兄はそれを酷く嫌がった。
「ハロルドと一緒に居たい。」
オレとは違い、普段は滅多な事では我が侭を言わない兄が、その時ばかりはメルやイクティノスに反抗するのだ。
それが原因で、オレ達を学校に通わせようというメルやイクティノスの計らいは無意味なものになってしまった。
何せ、学校に行く事になれば互いに何時間も離れなければならない、という事も有り得るのだ。
兄がそれに頷く筈がなかった。
「いやだ、ハロルドと一緒がいい。」
「オレも兄さんと一緒がいい。」
勿論オレも、兄と別れるのは嫌だったのでいつもそう答えたのだが、兄のそれは桁違いだった。
五分と傍を離れてはいられない。
常にオレの隣にいなければ気が済まない。
あまりなその様子にPTSDの一種だろうと、オレ達は医者を受診する事になった。
恐らくは、昔の体験の所為なのだろうと医者はそう言った。
両親が天上兵に殺される瞬間を、オレは目の当たりにしてしまった。
幸い兄は母の影に隠れてしまって見えなかったようだが、オレは肩越しに父の斬られる瞬間を、母が刃に貫かれる瞬間を、見てしまった。
その出来事の所為で、オレだけがずっとまともな意識を失っていた。
話しかけても、喋らない。
何か食べさせようとしても、食べない。
こちらの動きに対して、何も反応を返さない。
それは兄にとって、とてつもない恐怖だったのだろう。
そして、とてつもない罪悪感を生んだのだろう。
何故、自分だけが残ってしまったのか、と。
当時のオレは、それら全てを覚えていなかったので何も気にしてなどいなかったのだが、兄はきっとそうではなかったのだ。
また、オレがそれらの記憶を失っている事も兄にとっては恐ろしい事だったに違いない。
オレの傍から離れてはいけない。
離れたら失ってしまう。
そうやって、半ば強迫観念のような意識でもってオレの傍にいるのだろうと、医者はそう言った。
オレも、その意見には概ね賛成だった。
大人たちは、オレの過去についてはぼやかした表現をしたが、オレには何となく分かっていた。
記憶があった訳ではないのだから、ただ、周りの態度で気がついてはいたというのが正しいだろう。
ただ、単純にそれらが過去に起こった事実だと理解していたし、それらは周りが気遣うほどはオレにとって何の苦痛でもなかった。
周りが、オレ達が共に居る事に否定的な意見を浮かべる度、兄の態度は酷くなった。
オレは勿論、兄のそんな態度が嫌な訳ではなかったが、段々と問題が生じてきた。
兄とオレを引き離した方が良いのではないかという提案が医者からなされたのだ。
オレにとってよくない、というのが医者の言い分だったが、兄と引き離されるのはオレにとっても恐怖だった。
だから、強硬手段に出たのだ。
「兄さん、ピアス買って。」
兄は不思議そうな顔をしたが、それに頷いた。
兄にとってオレの願いは最も優先すべき事だったので、悩む事もないと思ったのだろう。
「もともとピアスは男性の装飾品だったんだって。でも、自分の守りたい相手にその片方を渡す習慣が出来てから、女性もピアスをするようになったんだってさ。」
兄の買ってくれたピアスを眺めながら、呟く。
簡易な包装がされた箱を開けながら、軟膏を塗ったニードルを兄に手渡した。
ピアッサーよりはこちらの方がいいだろう。
多少歪もうが、それはどうでもよかった。
「左耳のピアスは守る人が、右耳のピアスは守られる人がつけるものなんだって。」
右の耳朶を指し示して、そっと告げる。
「穴、開けてよ。兄さん。」
兄は少し驚いたような顔をした。
「…………痛いよ?」
「いいよ。」
それは奇妙な程に静かな空間だったと思う。
兄が耳朶にニードルの先をそっと差し込むのを、オレは黙って享受した。
痛みはあったが、不思議と声をあげるような事はなかった。
ニードルを押し出すようにして、今度は軟膏を塗ったピアスを押し入れる。
後ろで留め金をきっちりと留めて、対になる左のピアスを兄に手渡した。
「これは兄さんが持ってて。」
「ハロルド……。」
兄は静かにそれを受け取った。
「オレが、兄さんのものだっていう証。」
髪をかき上げて、今ついたばかりのピアスを兄に見せる。
鏡に映した自分の姿。
そう言っても違和感のない兄に抱きつく。
「だから、離れてたって平気だよ。」
兄が、そっとオレを抱きしめ返した。
「オレは兄さんにずっと守られてあげるから、オレの事ずっと守って。」
「うん。」
その後、兄は左耳にピアス開けようとしたのだが、オレの反対によってあえなくそれは終わった。
随分あっさり引き下がったなと思ったら、曰く。
「ハロルドがそう言うなら。」
全く、何処までもオレに甘い兄だが、その兄の綺麗な体に傷をつけるのは何となく納得がいかなかったのだ。
因みに、その日の晩にはイクティノスに気付かれた。
「ハロルド……貴方、どうしたんです、それ!?」
イクティノスは酷く驚いた様子だった。
昼に見たときにはそんなものはなかったのに、夜に見たらピアスが開いていたのだ、まあ当然だろう。
「右耳のピアスは守られる人がつけるものなんだって。」
「…………そう、ですか。」
イクティノスはそれで納得したらしく、何も言わなかった。
何かしら思うところがあったのだろうか。
メルにも何も言われなかったところを見ると、きっとイクティノスを通して話が伝わったのだろう。
兄はその日を境に、少しずつオレの傍を離れられるようになった。
オレの姿が見えないと不安がる事もしばしばあったが、以前のようにオレを探して走り回るような事はなくなった。
「まあ、これはリードと首輪みたいなもんかな。」
ディムロスが怪訝そうな顔をした。
「それは、ピアスではないのか?」
「ピアスだよ。」
あっさりとそう答えると、ディムロスは首を傾げた。
「……意味が分からん。」
憮然とした表情でそう言うディムロスに苦笑して、オレはイヤリングを耳につけなおした。
「どうしても知りたかったら、兄貴に聞いてみろよ。」
「カーレルに……?」
にやりと笑って、ディムロスの肩を叩く。
「多分、教えてくれないから。」
それを教えるような器量が兄にあれば、そもそもオレはこんなピアスをしていない。
あの兄は、ことオレの事になると恐ろしく狭量なのだ。
「それは尋ねる意味がないのでは……。」
「んー、まあ、そうかもな。」
これが、オレがピアスをつけた理由。
十歳のときの事だった。
ハロルドのピアスについて、でした^▽^
ベルセリオス兄弟は両依存で、
カーレルさんがハロルドの面倒を見るからハロルドが依存しているようにみられがちだけれど、実はカーレルさんの方がハロルドに依存してる……っていう……^^^