「それで?」
ディムロスが先を促すように尋ねる。
「私に会わせたい人物とは一体誰なのだ?」
先程からディムロスは心配そうに視線を彷徨わせている。
それもその筈で、ここは士官学校を卒業したての人間はまず通る筈の無い、中央部への通路だった。
「まあ、いいから着いて来いよ。」
「そうは言うが、こんな所を通って……。」
「まあまあまあまあ。」
案の定出てきた進路への不安を遮って、オレはディムロスの背を押した。
先導する兄貴に沿って、ディムロスも渋々ながら従った。
「ほら、もうそこだから。」
言って、兄貴が通路の先を指し示す。
こんな道を歩く息苦しさからだろうか、ディムロスの足が少し速くなった。
「ここだよ。」
「はい、到着ー。」
ネームプレートの入っていないドア。
「誰かの部屋か?」
「うん、まあ、そうだね。」
首を傾げるディムロスに、苦笑気味に兄貴が返す。
兄貴のその気持ちは分からないでもない。
オレだって笑いを堪えるのに一苦労だ。
「カーレルです。」
コンコンコン。
兄貴が扉を叩く。
すると間も無く扉が開いて、目の前に碧の髪を靡かせた男が現れた。
「どうぞ。」
ディムロスが硬直している。
それが余りに面白くて、未だに思考が追いつかないままのディムロスを室内に入れて扉を閉めた。
「し、失礼しました!」
漸く頭に血が廻り出したらしいディムロスが最初に取った行動は……Uターンだった。
「こーら、お前何処に行くんだよ。」
出て行こうとするディムロスの服の背中を掴んで連れ戻す。
「いや、だが、しかし……!」
慌てた様子のディムロスに部屋の主は苦笑を零した。
そう、言わずと知れた地上軍総司令官、メルクリウス=リトラーだ。
「はじめまして。」
ディムロスは俊敏に敬礼した。
「はっ! ディ、ディムロス=ティンバーです!」
だが、その手は震えていたし、舌も回っていない。
顔にどうしよう、と書いてあるのが見て取れた。
それが面白くて笑いを必死で堪えた。
ネタばらしは、メルからするべきだ。
「私はメルクリウス=リトラー、カーレルとハロルドの父親だ。」
「え……。」
敬礼の体勢のまま再び硬直するディムロスに、とうとう笑いが堪えきれなくなってしまった。
思わず噴き出してしまう。
「あははははははっ、はっ、は、腹痛い……!」
腹を抱えて蹲るオレと、クスクスと笑ったままの兄貴。
そんなオレ達に困ったものだと視線を向けるメルと、未だ呆然として何が起こっているのか把握できていないディムロス。
なんて面白い図だろう。
「はぁ、も、ホントさいっこー。やばい、ディムロス面白い……!」
「ご、ごめんねディムロス……ふっ、ふふふふ……!」
兄貴も中々笑いが堪えられないらしい。
申し訳なさそうな顔をしながらもその手は口元を押さえたままだ。
「全く、困った子たちだ。済まないね、ディムロス君。」
メルの所帯染みた発言に、一気に現実に引き戻されたらしいディムロスが呆然として言った。
「…………総司令殿が、お前達の、父親?」
半ば信じられないといった顔で、それがまた面白かったのだが何とか説明を付け加える。
「っていっても血は繋がってないけどな。」
「私達の養父なんだ。」
瞬きを繰り返してディムロスが呟く。
「…………う、嘘だろう。」
「いや、知らないのはお前くらいだって。」
「ホントに君は周囲の噂に無頓着だからね。」
オレ達の事は士官学校でも噂の的だったというのに、全く気付いていないとはある意味恐れ入る。
まあ、くだらない噂の類をディムロスが好まないという事は皆知っていたし、あからさまに不快を顕にするディムロスの前では誰も喋らなかったのだろう。
「あ、ああ。だから皆お前達の事を噂していたのか……!」
「まあ、そういうコトだな。」
「ハロルド、君のはまた別だろう。」
オレが科学実験室を爆破した事は記憶に新しいらしい。
兄貴に咎めるようにして言われる。
「まあ、でもあれくらい、いいじゃん。」
「全く、演習場に巨大な穴を掘っておいてよく言うよ。」
そう言えば演習場に地割れを作ったりもしたんだっけ、と今更ながらに思い出す。
あれは確かに失敗だった。
構築をもう一度やり直さなければいけない。
「とりあえず、座ったらどうかな。」
そんな時、メルが声を掛けた。
「お茶が冷めてしまうよ。」
ツルの一声というやつだ。
ソファとそれに添えられたテーブルに並ぶ人数分の紅茶に、それぞれが席に着いた。
「改めて、はじめましてディムロス君。君の話は常々この子達から聞いているよ。」
「は、はいっ……。」
言われて、ディムロスが縮こまる。
こんなディムロスは初めて見た。
視線は俯いていて常に何処かを彷徨っているし、拳はぎゅっと握られてその膝の上で震えている。
顔が、赤い。
「そう緊張しないで欲しい、今日の私はこの子たちの父親として君と会っているんだから。」
そんなディムロスの様子にメルが苦笑を零した。
わざとだな、今の。
「わ、わかりました……総司令。」
メルの計らい通りに、ディムロスは少し落ち着いたようだった。
全く、人の感情の機微というものを無自覚で理解しているのだから性質が悪い。
そして、自分がどのように動けば相手がどのように反応するか、計算ではなく感覚でこの男は知っているのだ。
これが天から与えられた統率者の資質というものだろうか。
「……リトラーさん、と。」
その言葉に、ディムロスが顔を上げた。
オレも思わず顔を上げる。
「仕事中ならばともかく、折角の休日なんだ。そう呼んでくれないか。」
「はい……。」
まさかメルがそんな事を言い出すだなんて思ってもみなかったのだ。
どうやら兄貴もそれは同じらしく、二人して顔を見合わせてしまった。
メルはというと、オレ達が訝しがっている事にも気付かずに、楽しそうにディムロスに質問を投げかけていた。
「紅茶を淹れておいたが、大丈夫だったかな。」
「あ、はい、ありがとうございます……。」
ディムロスもぎこちなくだが、それに答える。
何だかそれが面白くない。
「ディムロスは珈琲の方が好きだよ。」
思わず横から口を挟んでしまった。
兄貴がそれを嗜めるような視線を遣した。
その困ったような目を見て、これが友人を取られた事に対する幼い嫉妬だと気付いた。
「そうか、じゃあ珈琲を淹れてこようか。」
「いえ、あの、紅茶も好きです……。」
メルは少し驚いたような顔をして、珈琲を淹れに立ち上がろうとした。
それを制するようにディムロスが慌てて一口、紅茶をすすった。
何だろう、気に喰わない。
兄貴がこちらをちらりと見遣る。
分かってる、余計な口を挟んだりしねーよ!
そんな気持ちを込めて軽く睨むと、兄貴はごめんとでも言うように苦笑した。
「あの……リトラーさんは紅茶がお好きなんですか?」
「そうだね、どちらかと言うと。」
他愛もない会話を交わす二人。
ディムロスの顔には、明らかにメルクリウス=リトラーへの尊敬の念が浮かんでいた。
メルとディムロスを会わせたのは間違いだったな、と内心で舌打ちをする。
メルの事は好きだし尊敬もしているが、ディムロスがオレと兄貴以外に視線を向けるのはどうしようもなく気に喰わない。
兄貴は気にならないのだろうか……。
チラリと見遣ると二人の会話に加わっている兄の姿が見えた。
「私もどちらかと言うと紅茶だなあ。」
目配せで意思をこちらに伝えてくる。
恋ってのは盲目だね、と。
「…………オレは、珈琲。」
溜め息を吐きながら、そう呟いた。
兄貴がおかしそうに笑うのが見えた。
大好きな父に、友人が出来たと話したかった。
会って欲しいと思った。
それは間違いない。
だが、会わせた途端に後悔の念に襲われるとは思っても見なかった。
ディムロスがメルに憧れている。
尊敬の眼差しを向けている。
悔しい。
「君の髪は、空の色だね。」
「そ、う……なんですか?」
ディムロスがぎこちなく自らの髪に触れる。
「地上に住む皆にとっての希望の色だ、君の入軍を心から歓迎するよ。……ああ、今日は休日だなどと言い出しておいて、私がこうではいけないな。」
「いえ、ありがとうございます……。」
苦笑するメルに、ディムロスが消えてしまいそうに小さな声で礼を告げた。
伸ばそうかな。
ディムロスが殆ど聞き取れない声で呟いたのが分かった。
隣にいたのでなければ本当に聞き取れなかっただろう。
いや、いっそ聞こえなければ良かった。
ダメだ、オレは心が狭い。
悔しい。
「何を不貞腐れているんだい、ハロルド?」
部屋に戻るなり、兄貴が呟いた。
「不貞腐れてなんかねーよ……。」
そうは返すものの、明らかにそれは嘘だった。
兄貴にばれない筈が無い。
「リトラーさんにばかりディムロスの目が行くのがそんなに気に入らないのかい?」
ずばり確信を突いて、兄貴がベッドサイドに腰掛けた。
苦笑する横顔に、ベッドに寝転んでいたオレは黙り込んで壁際を向いた。
「ディムロスが憧れているのは、総司令の地位だよ。何なら、ハロルドがなればいい。」
あっさりと地上軍のトップに立てという兄に、溜め息が零れる。
呆れで思わずそちらを振り向いた。
「リトラーさんはハロルドが本気でやりたいって言ったら、きっと譲ってくださるよ。」
ははは、と笑って兄が呟く。
メルの事を考えると、恐らくはそうだろうと思う。
出来る事ならば、あんな役職は退いてしまいたいというのがメルの考える所だろう。
ただ、自分しか地上軍を纏められる人間がいないと分かっているからその椅子に座っているだけなのだ。
この戦争を終結させられるだけの人間がいるならば、出来る限りの便宜を図って、きっとその地位を明け渡すに決まっている。
「無茶言うなよ……。」
他人を纏める能力など、自分にとって一番欠落しているものだ。
地上軍の全てを統括するなど、とてもではないが出来たものではない。
「どっちかっていうと、兄貴の方がぴったりだよ。」
「そうかな?」
「そうだよ。」
兄貴がベッドに横たわるオレの髪をそっと梳いた。
子ども扱いするなと言いたかったが、兄貴だからいいかとも思ってしまった。
そんな事を考えている間に、結局声をかけるタイミングを逃してしまう。
「ディムロスが私ばっかり見るようになったら、嫌じゃない?」
「兄貴ならいい。」
この兄は、答えが分かっていて、こういう意地の悪い問い方をするのだ。
「オレは兄貴だし、兄貴はオレだから。」
自分と同じ存在に嫉妬するなんて馬鹿げている。
そして、この台詞を聞きたいが為に兄貴はそう尋ねるのだ。
「…………私はハロルドがそう望むなら、総司令にでもなんでもなるよ。」
真面目な声音に、思わず体を起こす。
躑躅色の瞳が真っ直ぐこちらを見据えている。
「ハロルド、君の為なら。」
きっと、オレがここでイエスと言えば兄貴は本当に総司令の地位まで駆け上っていくのだろう。
そして……もし、メルがその椅子を明け渡すまいとしても奪い取ってしまうだろう。
きっとメルはその座を譲るだろうからこれは無意味な考えだが、そうに違いないのだ。
兄貴にとっての一番は常にオレだから。
オレにとっての兄貴がそうであるように。
「……馬鹿言うなよ。そしたら兄貴と一緒に居られる時間も減るじゃん。」
「そうか、そうだよね。」
兄貴は再び、ははは、と笑ってオレの上にダイブした。
二人してベッドに倒れこむ。
もうそこには真剣さの欠片もなかった。
「あー、ディムロスがメルに憧れてんのとか、何かどうでもよくなってきた……。」
「何よりだよ。」
今までの会話に毒気を抜かれてしまった。
兄貴はオレの胸元に頭を載せたままくすくすと笑った。
暖かな肌の感触と、兄の笑う声の振動が胸に響く。
オレも何だか妙におかしな気分になって笑った。
そして、メルとディムロスを会わせる計画が成功した事を素直に喜びながら、そのまま二人で眠った。
リトラーさんは結構、無自覚の内に嫉妬されそうなイメージ
何でも出来るし、誰にでも好かれるから
でも、嫉妬してる人もリトラーさんの事は好きだからそれが表に出てこない
「だっていい人なんだもん」って思っちゃう
完璧に天然でたらしこんでますね!^▽^
ベルセリオスは、それぞれに恋愛感情とかそういうものが備わっても一番はお互い、というイメージが強いです
そして、ハロルドの中の命の順位は「カーレル、リトラー、イクティノス、ディムロス」なんだと思います
自分の感情や、後でどれだけ後悔するかという事よりも恩義を選んでしまうタイプ
まあ、カーレルも「ハロルド、リトラー、イクティノス、ディムロス」の順なんでしょうが
何だかんだで双子だという事ですね