「よお。」
廊下の向こうから銜え煙草でやって来たハロルド博士は、横柄にその二文字だけを言い放った。
彼の知り合いらしい人間なんてここには僕意外にはいないのだから、恐らくは僕にかけられた言葉なのだろう。
「おはようございます、ハロルド博士。」
挨拶をしたら、紫に光る瞳でじろりと睨まれた。
自分から声をかけてきた癖に、とは思うのだけれど、上官にそんな事を言える筈もなく僕はその視線を明後日の方向へと受け流した。
「何かご用ですか?」
ハロルド博士には、嫌われているのだろうなと思う。
博士は大概の人間なんてきっと好きではないだろうと思うのだけれど、その中でも僕みたいな根暗でウジウジしたマイナス思考の人間は嫌いなのだろう。
そんな博士が僕に話しかけてきたのだ。
きっと、また何か面倒な仕事の話に違いない。
「ちっ、可愛げのねー奴。」
話しかけられて直ぐ様用件を尋ねた僕の態度を鼻で笑って、ハロルド博士は真っ黒なファイルで僕の肩を軽く二度叩いた。
皮肉られて気がついたが、確かに僕の態度はそっけなかった。
僕の事を嫌っているであろう博士と対峙しているから、余計に表情も強張っていただろうし。
それが博士の厭味な態度をを正当化しているとは思わないが、自分にも非はあったのだ。
なんて、ああ、こういう思考がきっと嫌われる要因なのだろうけれど。
「仕事だよ。」
斜めに睨め上げる視線は、相反して僕を見下すような色を含んでいた。
「分かりました。」
どんな内容か、などと野暮な事を尋ねれば眉間を顰めてファイルを見ろと一蹴されるに違いない。
行動の先回りをしようと肩のファイルを受け取って、表紙を開いた。
「へえー、今日は嫌だの何だのと喚かねーのな。」
「言った所で博士は断らせてなんかくれないでしょう。」
どうせ七面倒な仕事をこちらに回してきているに違いはないのだから。
そして、そういう仕事の場合、この人は断れないように裏から手を回しているのだ。
ソーディアン・チームに抜粋された時もそうだった。
「違いない。意外と賢かったんだな、お前。」
ははは、と笑って博士は短くなった煙草を自作らしいポケット灰皿へ押し込んだ。
パチンと音を立てて閉まるグレーの蓋を見ながら、そう言えばチームに抜粋された頃はここまで険悪な仲ではなかったなとぼんやり考えた。
それは多分、お互いの事をよく知らなかったからだろう。
ソーディアン・チームとして一緒に動くようになってから、段々博士と僕の仲は悪くなっていった。
それは、ただ単に相性の不一致としか言いようがないのだけれど。
今となっては初対面の時の和やかさは欠片も残っていない。
「なるほど、学習能力はあった訳だ。」
どうしてこんなにするすると皮肉な言葉が思いつくのだろう。
お兄さんのカーレル中将は温和で穏やかな人なのに。
「博士がいつも無茶な仕事を回してくださるお蔭で、勉強しましたよ。」
釣られて、僕も厭味で応酬した。
ああ、あっさりとこんな言葉が出てくる僕も、大概だったな。
「全く、僕には分不相応な仕事ばかりですからね。」
言うと、博士がピクリと眉を動かした。
ああ、何か博士の感情を逆撫でする事を言ってしまったなと思った瞬間に、胸元にドンと衝撃を感じた。
見ると、博士の拳が僕の心臓の位置で静止していた。
眼光の鋭さを増した博士の視線をどう受け止めたらいいものかと、今更に臆病な心が出てきておろおろしてしまう。
こういう時の博士は本当に怖い。
軍の中にも居る、ならず者だとかそう言った連中が出す威圧感に似た恐ろしさを博士は持っていると思う。
権力という名の実力が伴うだけに、当然博士の方が何倍も怖いのだけれど。
「無茶なんて言ってねぇだろうが。」
何故怒られているのか分からなくて呆然とする僕からスッと拳を引くと、博士はもと来た方向へと帰りながら言った。
「出来ると思った仕事しか、オレは回してない。」
白衣を靡かせながら博士が廊下の角を曲がったのを見届けて、僕は漸く溜め息を吐いて身の硬直を解いた。
「……………………えっと、今のは。」
暫し呆然としていたのだが、脳に酸素が回りだしたのか、漸くその言葉の意味を考える。
博士は多分、本当に僕に出来る仕事しか回していないのだろう。
実際に今までの仕事も一応――その出来云々は別にしても――何とか実を結んでいる。
それを出来ないと僕が宣ったから。
自分の実力を不当に低く評価したから、怒っているのだ。
ああ、そうだ。
彼はこういうネガティブな思想を嫌うのだった。
特に自分の能力を貶める事に関しては、非常に嫌悪する。
「何だかなあ……。」
要するに。
彼は。
僕の能力を評価してくれているのだ。
「博士って、ホント変わってるよ……。」
こんなにお互いに険悪な仲でありながら、それでも何とか同じチームで上手くやっているのはつまりはこれが起因しているのだと思う。
「…………あ、いや。」
彼が僕の実力を確かに評価してくれていて。
僕がそんな彼を少なからず尊敬しているから成り立っているのだ。
「僕も、か。」
初対面の時に感じた気安さや、和やかさというものは失われたけれど、確かに僕らの関係は深まっていると思う。
お互いに相手の事を知り合って、理解していっている事は間違いない。
「僕も、変わってるよね……。」
決して穏やかではなく。
且つ、常に緊張を強いられる彼とのこの関係性を。
案外僕は嫌ってはいない。
ハロルド♂とシャルティエの関係性は最終的にこんな感じになればいいと思います^▽^
両方、ベクトルは違うけど捻くれものな感じで^^^
ハロルド♀とシャルティエだったらハロルドがべったべったになるんだけどねー^〇^