「姉さんがぶったぁー!」

うわぁあと大粒の涙を流しながら、母の背中へ駆け寄って追い縋る。
洗濯物を抱えていた母は「あら、困ったわねぇ。」と、ちっとも困っていない顔でこちらを振り返るとそう言った。

僕は母の背中から恨みがましい目付きでじっと姉さんを睨んだ。

母に見つめられると途端に姉さんは大人しくなって、口を尖らせた。

「……ち、違うもん。エミリオが大袈裟なだけだもん。」
「違うもん。姉さんぶったじやないか!」
「はいはい、喧嘩しないの。」

母が姉さんとの間に割って入って喧嘩を宥める。
姉さんはむすっと頬っぺたを膨らませて、向こうのソファで真剣に何かを熱心に読んでいる父さんの背中に縋りついた。

「父さん聞いてよ、エミリオったらちょっとつついただけなのに大袈裟に泣きわめくのよ。男の癖に!」
「……え? あ、ああ。」
「もう、父さん聞いてないでしょ!」

本に集中していた所為でこちらで盛大に繰り広げられていた喧嘩にさえ碌に気付いていなかったのだろう。
父さんは困った顔をしながら姉さんの頭をぽんぽんと撫でた。

「姉さんがぶったんだ!」
「エミリオが大袈裟なだけだってば!」

僕が父さんにも訴えると、姉さんはキャンキャンと吼えるように喚きたてた。
その目には涙が滲んでいる。

「うーん、ルーティ。暴力はよくないな。」
「だ、だって……。」
「ルーティはお姉ちゃんだろう。」

そう言われて、姉さんの目にじわじわと涙が浮かんでくるのが見えた。

「なによっ、エミリオばっかり!」

泣き顔を見られるのはプライドの高い姉さんにとっては許せない事だったのだろう。
そのまま、庭へと駆け出していく。

「あ、ルーティ……。」
「大丈夫よ。」

慌てて追いかけようとした父さんを母さんが止める。
口ごもりながら「でも……。」と言った父さんに母さんは笑って言った。

「や、やだよ……姉さん、置いてかないで!」

僕は姉さんの姿が見えなくなった事に急に不安になって、また半べそをかきながら姉さんの後を追いかけた。

「あらあら、エミリオったら本当にお姉ちゃんが好きなんだから。」
「本当だ。君の言う通り、心配はなさそうだ。」

後ろから母さんと父さんが笑う声が聞こえた。

「ね、ねえさ……ん……。」

暫くうろうろと捜し歩いた末に庭の生垣の根元に隠れるように座り込んで、ぐすぐすと鼻を鳴らしている姉さんを見つけた。
声をかけようかどうしようか迷っている内に僕に気付いたらしい姉さんは声を荒げてこちらを睨みつけた。

「なによ、何で追いかけてくるのよ!」
「だってえ……ぼ、僕……。」
「ばかじゃないの!」

しゃくりあげて声も出なくなる僕に姉さんは呆れた声を出した。

「ご、っ……ごめ、なさ……。」
「エミリオの弱虫!」
「うぅ……ふ、ごめ……な、なさい……。」

立ち上がってまたどこかへ行こうとする姉さんのレースのスカートの裾をぎゅっと掴んで引き止める。
姉さんは泣きはらして真っ赤にした目で怪訝そうにこちらを見遣った。

「ぼ、ぼく……強くなるか、ら……だからっ……姉さん、泣かないでよお……。」

僕がそう言うと、姉さんはスカートの裾から乱暴に僕の手のひらを外させて「馬鹿じゃないの。」と言った。

「泣きながらそんな事言ったって、ちっとも説得力ないんだから!」
「う、っ……ぐ。」

僕はすん、と鼻を鳴らしながら必死で涙を堪えた。
それを見て姉さんもすん、と鼻を鳴らして僕の頭に手を置くと「……ごめんね、エミリオ。」と言った。





「……ューダス……ジューダス! ねえ、ジューダスったら!」

目を開けると、そこに広がった金髪にかつて僕を友達だと言った男の面影が、瞬間フラッシュバックした。
慌てて首を振って、そんな馬鹿なと幻想を振り払う。

「……あ、ああ。カイルか、どうしたんだ。」

動揺を押し殺しながら尋ねると、カイルは今にも泣きそうな顔で僕にぎゅうと縋りついた。

「カイル?」

普段なら突き放す所だが、その顔が嫌に真剣だったのでそうする事もできずに僕はただ名前を呼んだ。
酷く情けない図だと思った。

「だ、だって……普段なら部屋に人が入ってきたら気付くのに気付かないし。それに、ジューダスが泣いてたから……。オレ、心配になっちゃって……。」

泣いている?
僕が?

何を馬鹿な事をと掌でぐいと頬を拭う。
しかし、確かにそこは温かい液体で濡れていた。

「ジューダス……。」

心配そうな顔をするカイルに小さく溜め息を零して「大丈夫だ。」と言った。
僕のその言葉を疑わしげにしながらもカイルは抱きしめる腕を解いた。

「……大丈夫、少し夢を見ていただけだ。」
「こわい、夢?」

眦に静かに涙を浮かべてカイルが尋ねてくる。

「いいや。」

僕は首を振って、答えた。

「とても……とても、優しい夢だ……。」

残酷なほどに優しい。
存在したかもしれない未来。









よくわからないけど、ジューダスさんを幸せにしてみたかった

偶にはいいよね